「日本」の誕生と正史から隠された女王卑弥呼

「日本」の誕生と正史から隠された女王卑弥呼

「日本は単一民族国家である」

そう聞いて疑問におもう人は、ひょっとすると少ないのかもしれません。
日本人には純血意識が強くあるようです。
その思い込みがさまざまな差別を生んだりもしています。

 

日本には琉球人もいればアイヌ人もいます。

朝鮮人や中国人、最近では西洋からもたくさんの人が日本にやってきています。

先史時代には、
ロシアの方から北方民族が日本列島に流れ込んできましたし、
南の海から黒潮の流れにのって南方民族もやってきました。
そういった人々が縄文人として日本列島に暮らしていました。

時代が進むと、弥生人と呼ばれる人々も中国大陸や朝鮮半島から渡ってきました。

(出典:Walk on the Wild Side)

 

日本は、今も昔も単一民族国家ではありません。
日本列島はある特定の民族のための土地ではないのです。
大昔からさまざまな民族を受け入れてきたふきだまりのような土地でした。

 

日本列島はユーラシア大陸の東の端にあります。
アフリカ大陸から世界各地へと散らばっていった人類……。
日本はそんな人類が東へ、東へと新天地を求めて移動した結果たどり着いた終着点のような場所でした。

 

文明が発生し、古代にシルクロードというヨーロッパとアジアを結ぶ交易ルートができたときには、

日本は東の終着点になりました。


(出典:HOME9別館)

 

古代から日本にはいろいろな文化が集まり、
日本人はその多様な文化を受け入れていたのです。

 

だからこそ日本人はさまざまな文化をアレンジして新しいものを作り出したり、

他者と協調する「和」という精神を大切にする文化が芽生えたりしたのでしょう。

しかし20世紀に入ってから、
日本人はいつのまにか「単一民族神話」を信奉するようになりました。

 

日本人はいつから日本を単一民族国家だと思うようになったのか。
明治時代?

それとも江戸時代?

いいえ、もっとずっと昔に日本が単一民族国家だと勘違いする起源があったのです。

 

それが『古事記』や『日本書紀』が編纂された時代でした。
同じ時期に倭国は日本という名称にかわりました。

日本という国が大きく変わった時代なのです。

 

日本人が単一民族国家だと信じるルーツは『日本書紀』にあります。

 

今回は、この古代の激動期に日本に何が起こり、その事態に対応するために時の権力者がどのような行動を起こしたのかを見ていきましょう。

さらに、『魏志倭人伝』には載っているのに、日本の正史である『日本書紀』には登場しない邪馬台国や女王卑弥呼の謎についても迫っていきます。

 

国家の存亡をかけた大プロジェクト「記紀」編纂

7世紀後半、大和朝廷は存亡の危機にありました。

 

国外からは、唐や新羅の脅威が迫り、
国内は豪族たちの大和朝廷に対する不満がつのっていました。

 

大和朝廷がいつ崩壊してもおかしくないこの時期に編纂されたのが『古事記』や『日本書紀』でした。
国家の非常事態にこれらの正史や神話が作られた理由ななんだったのでしょうか?

 

また、ちょうどこの時期に「倭国」と呼ばれていた我が国は「日本」と呼ばれるようになりました。
この変化は何を意味するのでしょうか?

 

倭国を震撼させた7世紀後半の大事件

 

7世紀後半、倭国の同盟国であった朝鮮半島の百済(くだら)が、唐と新羅(しらぎ)の連合軍に攻められる事態が発生しました。

 

この朝鮮半島で起こった戦争に倭国が首を突っ込んだことで、
国家の存亡にかかわる大変な危機が2つ訪れることになるのです。

 

まず1つめの危機からみていきましょう。

 

天智天皇(てんじてんのう)の治世であった663年、百済から援軍要請をうけた倭国は、
3万5千もの兵を朝鮮半島に派遣しました。

 

これが「白村江の戦い(はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい)」です。

(出典:東京書籍「図説日本史」)

 

当時の倭国にこれだけの戦力、しかも海を越えて出兵できるだけの力があったことも驚きですが、
結局「白村江の戦い」で倭国は、唐・新羅連合軍に大敗してしまいます。

同盟国であった百済は完全に滅亡してしまったのです。

(出典:東京書籍「図説日本史」)

 

白村江への出兵は完全なる失策でした。

 

唐は中国の大国ですし、新羅はすぐ隣の朝鮮半島にある強国でした。
白村江の戦いに惨敗したことによって、唐と新羅がいつ海を越えて攻めてきてもおかしくない非常事態に倭国は陥ってしまったのです。
これが1つめの危機です。

 

しかし悪いことばかりではありませんでした。
もともと百済と文化的な交流があった倭国ですが、
百済が滅んだことで、百済の有力者や知識人、技術者などがさらに大量に倭国に流入してきました。
かれら渡来人によって日本の文化・技術レベルは一気に跳ね上がりました。

 

ところが、これが倭国存続に関わるもう1つの危機をもたらしました。
それは国内の豪族たちの不満です。

 

朝鮮半島への兵の出兵で、大和朝廷に従う豪族たちは大変な損失をこうむりました。
戦争に勝てば恩賞もあったかもしれませんが、惨敗したために何ももらうことはできません。

 

さらに朝廷は、百済出身の要人や知識人を高官につけたり、
国内の豪族をさしおいて百済人を重用したのです。
ただでさえ天智天皇の失策に不満をつのらせていた豪族たち。かれらの怒りは、いつ爆発してもおかしくない状態になったのです。
これが大和朝廷崩壊、2つめの危機です。

 

天智天皇は、抵抗勢力が多かった飛鳥の都から遷都します。
国外の脅威に対抗するためにも新たな政治体制を構築する必要があったのです。

 

新たな都は琵琶湖のすぐそば、現在の滋賀県大津市にあたる大津宮に定められました。

[近江大津宮 内裏正殿跡 (錦織遺跡第2地点)wikipediaより]

ちなみにこの天智天皇は、

かつて中臣鎌足と共に乙巳の変を起こし、大化の改新をなしとげた中大兄皇子のことです。

(天智天皇)

 

倭国の大王が朝鮮半島にこだわった理由

そもそもなぜ天智天皇は同盟国の百済を助けるためとはいえ、
危険をおかしてまで大量の軍を朝鮮に派遣したのでしょう。

 

朝鮮半島南部には倭国の人間が住んでいました。
古代は現代のように厳密に国境があったわけではありません。
九州と朝鮮半島は距離も近く、頻繁に人々が行き来していたようです。

 

朝鮮半島南部では日本特有の古墳である前方後円墳もいくつか見つかっています。
また倭国について書かれた『魏志倭人伝』には朝鮮南部にも、まるで倭国があったかのような表記が見受けられます。

 

ほんとうに倭国連合に属する倭人の国が朝鮮半島にあったかどうかは諸説ありますが、
朝鮮半島から文化や鉄などを輸入するための倭人による拠点が半島にあったのは間違いないとおもわれます。

 

しかし天智天皇の時代になると、
そういった倭人による朝鮮半島の拠点が失われてしまっていたのです。
天智天皇にとっては、唐や新羅と戦争するという無謀な決断をさせるほど、
朝鮮半島に倭国の拠点を復権することは悲願だったのでしょう。

 

古代日本最大の内乱「壬申の乱」

飛鳥から近江宮に遷都してまもなく、天智天皇は崩御します。
生前の天智天皇は倭国の危機を立て直すことができず、さらに国内情勢はさらに混乱していました。

 

天智天皇の子である大友皇子(おおとものみこ)と、天智天皇の弟である大海人皇子(おおあまのみこ)が王位継承権を巡って対立します。
それぞれを支持する豪族たちも巻き込み、この争いは古代日本最大の大乱に発展していきます。

 

これが「壬申の乱(じんしんのらん)」で、日本最初の王位継承権をあらそう戦争でもありました。

 

この大乱に勝利したのは大海人皇子で、のちの天武天皇です。


(天武天皇)

 

この天皇のもとで、倭国は危機を乗り越えていくことになります。
そして、「日本」という国が装いも新たに再スタートするのです。

 

「日本」という国がはじまった

天武天皇はそれまでの国の呼び名であった「倭国」を捨てます。
そして新しく国名として定めたのが、
日の本の国(ひのもとのくに)つまり、日出る国(ひいづるくに)を意味する「日本」です。

 

かつて天智天皇は無謀な戦争をしてまでも朝鮮半島で倭国を復権させようとしていました。
天武天皇は、そのような過去の朝廷が持っていた朝鮮半島へのこだわりもきっぱりと捨ててしまいます。

 

都も大津宮から奈良の平城京に移しました。
平城京は中国の都・長安にならって作られた当時史上最大規模の壮大な都でした。
法律や官位も定め直し、仏教も徹底的に取り入れました。
天武天皇の時代に律令国家の日本が名実ともに完成していったのです。

 

さらに天武天皇は『古事記』と『日本書紀』の編纂を命じます。
前回お話ししたとおり、
『古事記』は大和言葉で国内向けに書かれた書物で、
神話の割合が多く、天皇という存在が登場するまでの神々の物語がドラマチックに描かれているのが特徴です。
天皇を神の子孫として神格化するために書かれました。
これによって天皇は、戦争の勝利によって獲得する権力ではなく、もっと貴い、神から与えられた絶対的な権威を獲得することになりました。

 

一方『日本書紀』は海外向けに漢文で書かれました。
『日本書紀』は神話の分量が少なく、内容は歴代天皇の業績など、歴史的(とされる)事実がほとんどです。
そこで描かれているのは単一民族国家としての誇りと、中国にひけをとらない文化レベルの高さです。

 

日本は中国の属国ではない、中国とも肩を並べられるくらいの歴史を持っている。
日本を治めているのは天皇という神の宿る存在で、
その血は神の代から絶えたことがない。祖先神から万世一系なのである。

 

『日本書紀』は、日本は由緒正しく文化レベルも高い国だと海外(とくに中国王朝)に主張しているのです。

天皇家という神格化された存在を中心とする神聖な国、
中国にもひけをとらない文化レベルの中央集権国家として、日本は舵を切ったのです。

 

この天武天皇の政策は見事に成功し、
現代にいたるまで日本は神聖な単一民族国家という幻想を受け入れるようになったのです。

 

正史から隠された邪馬台国と女王卑弥呼

はるか昔、この国は邪馬台国の卑弥呼という女王が治めていました。
『魏志倭人伝』に書かれているので、卑弥呼がいたことは確かな事実です。
しかし『古事記』にも『日本書紀』にも、卑弥呼はおろか邪馬台国という名称も登場しません。

 

「記紀」の編纂者は『魏志倭人伝』を確実に読んでいます。
つまり編纂者は意図的に卑弥呼や邪馬台国の名前を正史から排除したのです。

 

大乱をしずめ倭国を統治した過去の偉大なる女王を、なぜ大和朝廷は無視したのでしょうか?

 

その理由は『日本書紀』が書かれた目的を考えれば見えてきます。

天皇は神の子孫であり、内に神を宿す存在です。
神代から万世一系、つまり今までもこれからも永遠にその血が続いていく貴い存在です。
また歴代の天皇はすばらしい業績を残しています。日本民族はそんな天皇のもとで、文化レベルの高い国を作ってきました。

 

中国も朝鮮も、争いによって何度も王朝が途絶え、新しい王朝に交代しています。
しかし日本の天皇は途絶えたことがない。
天皇には神が宿っているから、特別な存在。
つまり日本は、中国や朝鮮よりも素晴らしい王朝……。

 

天武天皇をはじめ、「記紀」を編纂した人たちはそう考えていたことでしょう。

 

そういう思想で邪馬台国や卑弥呼をみると、引っかかるものがあったはずです。

 

魏という大国に貢ぎ物をしていた卑弥呼。
魏から「親魏倭王」の称号と金印をもらい、魏から認められるかたちで倭国の女王となった卑弥呼……。一方、天皇はその内に神が宿っている貴い存在。
だから日本の王として君臨している。
決して中国の王朝から称号を与えられた蛮族の首長とは違うと考えたのでしょう。ですから、卑弥呼のような存在を日本の正史に残すことはできなかった。

このように、天皇家を神格化するうえで都合が悪い存在だった卑弥呼や邪馬台国を正史から排除してしまったというわけです。


(栄永大治良画)
また、卑弥呼は神の声を聴く偉大な巫女でした。
権力者である大王(おおきみ)は、そんな巫女の神託を聞いて政事を行っていました。
しかし、天皇は違います。
天皇自身の内に神が宿り、天皇が神の声を聴き、儀式を行い、なおかつ政事もつかさどります。
天皇はかつて巫女が行っていた役割を担うようになりました。
つまり、天皇は卑弥呼のような存在に完全に取って代わったのです。

当時の日本では、
天皇が神に等しい存在になり、
中国王朝の影響からも離れ、
日本独自の文化が築かれようとしていました。

だから卑弥呼の存在は隠されてしまったのでしょう。

そして、日本のこのような政策が、
日本を単一民族国家だとおもわせる原因になったのでしょう。

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