縄文時代の精神性が日本神話を豊かにした

縄文時代の精神性が日本神話を豊かにした

縄文時代のアニミズムと蛇

キリスト教やイスラム教のような一神教が生まれるはるか昔、
世界中のほとんどの民族は、身のまわりのありとあらゆるものに霊が宿ると考えていました。
太陽や月、山や川、自然の草花や動物たち……
古代の人々はそういったすべてのものに魂を感じていたのです。

 

イギリスの民族学者E・B・タイラーはそれをアニミズムと名付け、宗教の始まりと考えました。

「あらゆるものに宿っている魂」という観念がやがて神という存在を生み出していったのです。

 

日本の縄文時代もアニミズム、つまり精霊信仰が盛んでした。
とても実用的とはいえないデザインの土器や石棒が日本各地の縄文遺跡から数多く出土しています。
これらは、自然物をかたどったもので、まさに縄文人のアニミズム信仰を象徴するものです。
また抽象的なデザインの土偶なども盛んに作られ、祭祀の道具としてもちいられていたようです。

 

さて、あらゆる自然物を形にしていた縄文人ですが、
そのなかでもヘビは縄文人のモチーフとしてよく使われていました。
土器にヘビが巻き付いたようなデザインがほどこされていたり、
土偶の頭にとぐろを巻いたヘビがのっているものがあったりと、
縄文人の精神世界と深いつながりがあったようです。

 

縄文時代の由来となった土器の縄文文様もヘビの柄を模したものとも考えられています。

 

ヘビはまさに、縄文のシンボル的な存在といえるのです。

 

日本人はヘビ族の末裔

この縄文時代に培われた精神性は時代が進んだのちの世にも影響を与えています。
『古事記』にもヘビに関するエピソードがとてもたくさん登場するのです。

 

ヘビは神聖な存在、つまり神として登場することが多いです。
代表的なものは三輪山伝承の大物主(オオモノヌシ)神でしょう。

 

日本の神話では、
この大物主神の娘と初代天皇の神武天皇が結婚します。
その子孫が私たちに繋がっているというのです。

 

つまりヘビ族の末裔が日本人なのです。

 

この世界に湧き出てきた生命=ムシ

『古事記』に一番始めに登場する神は、創造神のアメノミナカヌシの神です。
アメノミナカヌシが天の中心となる原初の神であります。

 

つぎに現れるのが、タカヒムスヒの神、つづいてカミムスヒの神です。
この2柱の神が生命の出現をあらわしています。

 

この2柱の神の名前にある「ムスヒ」という言葉に注目してください。
「ムス」とは、国家『君が代』の一節にある「苔のむすまで」のムス。
「苔むす」や「草むす」のムスと同じです。
つまりムス=産まれるという意味なのです。
ちなみに「ヒ」は「霊」で、霊的なものや神秘的なものをあらわします。

この「ムス」は名詞形になると「ムシ」となります。
「ムシ」=「虫」です。

 

この世界にわき出てくる生命。
それがムシなのです。

 

息子(ムスコ)、娘(ムスメ)も「ムシ」が語源です。

 

ヘビも、そのムシ族です。
マムシというヘビは縄文人もよくモチーフにしたヘビで、古代人はヘビの中でも神聖な存在と考えていました。
マムシのマは真と書きます。
ムシの中のムシ、真のムシがマムシという存在です。

 

マムシは強い毒をもっています。
マムシに咬まれた人間は、意識が錯乱します。
その様が神がかったように古代人には見えたのでしょうか。
人間を神にする、神聖な存在として考えられていたのがマムシなのです。

 

私たちはヘビ族の末裔であり、
もっとさかのぼるとムシ族の末裔でもあるのです。

 

この世界に「ムシ」て出てきた神々。
その神々が作った世界。
そんな壮大な世界の中、
さらに「ムシ」て現れたわたしたち人間。
そのちっぽけな人間がさまざまな感情を抱きつつ、覇権争いをする。

縄文時代に培われた自然と一体となった深い精神世界。
弥生時代、古墳時代と時代はすすむと王が現れます。
そんな王たちの欲や裏切り、権力を巡る抗争などの歴史の暗部……。

 

『古事記』には、
アニミズム的な神の世界からはじまり、リアルな人間の世界まで描かれています。

 

天地創造から生命の誕生、人間たちの小競り合いまで、地球で起こったあらゆる事をすべて包み込むような物語の豊かさが『古事記』にはあるのです。

 

『古事記』は、はじまりの物語であり、物語のはじまり。
1300年語り継がれ、これからもずっと語り継いでいくにふさわしい美しさがあります。

 

人間と動物と自然を区別しなかった縄文人

なぜ『古事記』はこんなにも大らかで豊かな物語性をもっているのでしょうか。

 

それはやはり『古事記』のなかに、
日本人の祖先である縄文人のアニミズム的な精神性が込められているからでしょうか。

 

『古事記』のような日本神話や、日本各地にのこる伝説や伝承には、
人間が動物と交わって子孫を残す話が数多く存在します。

 

前に書いた神武天皇の妻はヘビ神であるオオモノヌシの娘ですし、
ヒコホホデミの子を産むトヨタマヒメは、海神の子でその正体はワニ(鮫)の姿をしています。
各地の伝承をまとめた『風土記』には亀や白鳥などと子を成すはなしも出てきます。

 

古代の日本人は、祖先が動物であることに嫌悪感はもちろん、違和感すら抱いていなかったのです。
アイヌでは熊をカムイと呼び、神としてあがめています。
縄文時代の日本人には動物をカミが宿る存在だと信じていました。
人間も動物とおなじ自然の一部であることもわかっていました。
だから、人間と動物、さらに言うと人間と自然との間に確たる区別をもうけなかったのです。

縄文の人々はありとあらゆるものに魂が宿ると信じていました。
動物にも木にも草花にも……
古代の人々はそういった自然のなかにある魂との交流を楽しんでいたのでしょう。

 

自然に宿る魂と交流するための特別な力を持ち、自在にコントロールできるようになったのが呪術師という存在だったのでしょう。
その呪術師がやがて、カミの声を聴く巫女になり、やがて天皇という存在を生み出していくことになるのです。

このような縄文の精神世界の影響が根底にあるからでしょうか。
『古事記』の神話世界はわたしたちにこう言っているように思えてなりません。

 

人間たちよ、どんどん増えよ、育てよ、そして繁栄せよ。
与えられた生命を思うぞんぶん謳歌せよ。

神話カテゴリの最新記事