古墳壁画に秘められた深遠な古代思想~方角と色と四神~

古墳壁画に秘められた深遠な古代思想~方角と色と四神~


キトラ古墳

高松塚古墳とキトラ古墳は奈良県明日香村にある古墳終末期の古墳です。
極彩色の人物画や精度の高い天体観測にもとづいた天体図などの壁画で知られる古墳ですが、
なかでも青龍、白虎、朱雀、玄武という四神の壁画が有名です。

 

高松塚古墳とキトラ古墳は7世紀末から8世紀初頭のいわゆる藤原京期に築造された古墳です。
もっと古い時期に作られた古墳にも壁画が描かれたものはありましたが、
高松塚古墳とキトラ古墳の壁画には現代にも受け継がれる古代人の深遠な思想が秘められているのです。

高松塚古墳

4つの方角を司る4体の霊獣

四神とは東西南北の4つの方角を守る守護神のことで、この信仰は古代中国で生まれました。

東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武のことを四神といいます。

青龍と白虎は、そのまま龍と虎とあらわす神獣です。

朱雀の「雀」は尾の短い小さな鳥をあらわす漢字です。つまり、朱雀は鳥をあらわす神獣です。

玄武は、四神の信仰がうまれた中国でも、お隣の朝鮮半島でも亀に蛇が絡みついた神獣として描かれています。

なぜ亀が武という字で表わされるのか疑問におもわれるかもしれません。
古代中国には「武とは亀なり、自ら能くまもる。ゆえに武なり」というような言葉があります。
亀は外敵にあうと甲羅の中に頭と手足を引っ込めて身を守り、難を逃れます。
つまり、武=強いということは守るということだといっているわけです。

事実、古代の中国では高い城壁を築いたり、万里の長城のような異民族の侵入を防ぐ巨大建造物を作ったりと、守りを固めるために巨額な費用と労力を費やしていました。

 

奈良県明日香村の高松塚古墳とキトラ古墳に描かれているこの四神ですが、

それから後の平城京や平安京でも都の守り神として四方に配置されました。

平城京の南にあった朱雀門(復元)

ちなみに、高松塚古墳には朱雀の壁画だけ現存しません。
高松塚古墳もキトラ古墳も、鎌倉時代に盗掘にあっていますが、
高松塚古墳はそのときに進入経路として朱雀が描かれていた壁面が破壊されたために失われてしまったのです。

 

方角には色がある

青龍、白虎、朱雀、玄武には色がついています。

青龍は青、白虎は白、朱雀は赤、玄武の玄は黒をあらわします。

壁画の四神も青龍は青(緑)色、白虎は白色、朱雀は朱色、玄武は黒色の顔料をもちいて描かれています。

玄が黒という意味を持つことを知っている人は少ないかもしれません。でも、何かに熟練した人を「玄人(くろうと)」と呼ぶことはご存じですよね。
この玄人も同じ語源です。玄には奥深い黒色という意味があります。

 

四神がなぜ色分けされているのか。
これは古代人の考え方として、方角に色がつけられていたためです。

 

東は青色、西は白色、南は赤色、北は黒色という色が方角につけられているのです。
古代に考えられたこの伝統は現在にも受け継がれています。
たとえば大相撲の土俵の上には4色の房(総・ふさ)が飾られていますが、
東には青色、西には白色、南には赤色、北には黒色というように四神をあらわしているのです。

 

季節にも色がある

この四神の色は、季節もあらわしています。
みなさん「青春」という言葉を当たり前のようにつかっているとおもいます。
これはもちろん、青い春という意味です。
青春と同じように、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬とよばれていますが、これはも四神の信仰にちなんだものです。
人生を季節にたとえて、若年期を青春、壮年期を朱夏、熟年期を白秋、老年期を玄冬と表現されたりもします。
詩人の北原白秋の名前もこれに由来します。

 

また「青陽(せいよう)」、青い太陽と書いて、春という季節をあらわします。
「朱明(しゅめい)」は夏をあらわしますし、「白蔵(びゃくぞう)」と書いて秋をあらわします。
冬は「玄英(げんえい)」と書きます。
このように東西南北にはそれぞれ色がつけられているのです。

 

白虎と聞いて会津藩の白虎隊を思い浮かべる人も多いかとおもいます。
これももちろん四神をもとに名付けられた会津藩の部隊名です。
白虎隊は17歳以下の男子によって編成された部隊でした。
会津藩では、18歳から35歳までを朱雀隊、36歳から49歳までを青龍隊、50歳以上を玄武隊というように年齢に応じて軍を編成していました。

 

世界の中心は黄色

方角を定めるためには中心となる地点を決めなければなりません。
四神は中国で考え出されたものですが、
中国においての中心は皇帝です。
皇帝を中心に、四方に青龍、白虎、朱雀、玄武が配置されて皇帝を守護しているのです。

 

四神、つまり四方には色がありましたが、
皇帝をあらわす中心にも色があります。

それは黄色です。

古来より中国の皇帝をあらわす色は黄色でした。
皇帝が住んだ北京の紫禁城もその屋根にも黄色の瓦がふかれていました。

 

四神の4色と中心の黄色、これらは古代中国で考え出された五行思想にもとづいて定められたものです。
五行思想とは、自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成り立っているという考えです。

中心=皇帝=黄色=土
東=青龍=青(緑)=木
西=白虎=白=金
南=朱雀=赤=火
北=玄武=黒=水

高松塚古墳やキトラ古墳においては、四神が守る中心はもちろん被葬者です。
ただ単に古墳の内壁を装飾するためだけに描かれた壁画ではありません。
古代中国から伝わる五行説という思想にもとづいた埋葬がおこなわれているのです。

 

高松塚古墳とキトラ古墳の被葬者は誰なのか?
これに関しては様々な説があります。
天武天皇の皇子である、武市皇子(たけちのみこ)や忍壁皇子(おさかべのみこ)とも、

朝廷の臣下や百済の王族であるとも言われています。

 

謎の多い古墳ではありますが、
当時の科学の粋を集めて作られた美しい古墳であり、
そこには古代の深遠な思想が秘められていることはまちがいありません。

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