古代史の謎を解くために「オカルティズム」が必要な理由

古代史の謎を解くために「オカルティズム」が必要な理由

文献だけではわからないことがある

古代のことを知るには、古代の文献や古代の遺物、また伝承などから想像するしかありません。

主に文献などの文字史料を調べ、その信憑性を追求するのが歴史学(文献史学)という学問です。

まだ文字史料がない時代のことは、遺跡や遺構、遺物のような発掘品などから類推するしかありません。
そういった遺物から過去の人間の文化を研究する学問が考古学です。

歴史学や考古学の研究成果を学ぶことで、わたしたちは古代のことを知ることができるのです。
またそういった研究成果の中にあるものこそ正しい古代の姿だと考えられています。

しかしそれだけでは真の意味で、古代史の謎を解くことはできません。
文献を調べるだけでは、わからないことも多々出てきます。虫食いのように穴があいた古代史観になってしまうのです。

では、古代史の謎を解くには文献学や考古学の他に何が必要なのでしょうか。
それこそ「オカルティズム」なのです。

オカルトとは何か

「オカルト」と聞くと、超古代文明やUFO、UMAなどの荒唐無稽で非科学的なものを連想する人も多いと思います。
オカルトとは怪しいもの、それが一般的な人のオカルト観でしょう。
一般にそう思われる原因となっている、超古代文明、UFO、UMA、都市伝説などのたぐいは実は「オカルト」として本流ではありません。
どちらかというと、エンターテインメント的なものです。オカルトの本質はそんな子供だましのものではありません。
「古代人は宇宙人と交流をもっていた」というオカルト好きな人もいます。もちろん、エンターテインメントとしてそのように古代史を愉しむことは大事です。ただ、あまりにも荒唐無稽な古代観だと、残念ながらいつまでたっても古代史の謎を解くことはできないのです。

オカルトは長い歴史の中で人類が受け継いできた世界を観るための考え方のようなものです。

「オカルト」はラテン語のoccultum(=隠されたもの)が語源で、「神秘的なもの」を意味します。
さらに「オカルティズム」は、人間にとって未知の現象を探求し、そこに隠されていた秘密をあぶりだそうとすることです。

ヨーロッパでは、近代科学が発達する前までは「オカルト」が学問の主流として学ばれていました。
錬金術や占星術、呪術や心霊術もオカルティズムです。
とくに錬金術の研究は近代科学の発展に大きく寄与したことでもしられています。

しかしオカルティズムは一般には隠された秘教的な面も強く、超自然現象を信じることが前提のため、現代ではエセ学問という扱いになっています。
このため、歴史学でもオカルティズムは無視されてしまっているのです。

各地の地名には古代の痕跡が残されています。古代に名付けられた土地の名前は、時代を経てもそんなに変わらないものです。
また日本各地にある神社も時代を経ても変わりません。出雲大社は古代から出雲大社として同じ場所にあるのです。
そこに祀られている神様も基本的には古代からずっと変わりません。

古代人はなぜ、その土地にその名前をつけたのか。なぜそこに神社を作り、その神を祀ったのか。
古代人は現代人にはわからない考えにもとづいて、土地に名前をつけ、神を祀り、政治をおこない、歴史をつないできたのです。
そこには現代人が忘れてしまった謎がかくされている。
そういった謎をひも解いていくには、オカルティズムが必要になってくるのです。

オカルティズムで理解する古代人の精神と行動

科学が発達していなかったはるか昔。
古代人は壮大な自然現象に畏れをいだき、超自然的な力を感じていました。
彼らにとって、神は身近な存在だったのです。
雷に神の姿を見いだし、儀式によって神の声をきき、天の星と人間の運命を結びつけたりしていました。

古代人は血統を大切にしていました。血統をさかのぼると、そのルーツは神にいきつくと考えていたのです。
天皇家は天照大神にいきつきますし、物部氏はニギハヤヒという神にいきつきます。
古代人はそういった自身のルーツとなる神をあがめました。

また、人間に恐ろしい祟りをもたらすような神を鎮めるために儀式をおこなったりもしました。
なんとか生きながらえ、子孫に命をつないでいくために必死だったのです。
神々からどのような啓示をもらうのか。どのようにすれば自分の一族の血を絶やさないですむのか。
古代の人々は、神を身近に感じながら、必死に祈ったのです。

超自然的な力に畏れをいだき、その存在を信じて疑わない。
これはオカルティズムそのものです。
現代人が非科学的と考えるオカルトを古代人は信じていました。

だから古代史の謎を理解するにはオカルトを前提にしないといけないのです。
そこを無視してしまうと、古代人の行動を理解することができません。
現代人の常識で、古代人の行動原理に歪んだ解釈をあたえてはいけないのです。

歴史は人間が作ります。
人間が何らかのアクションをおこして歴史が作られていくのです。
その人間の行動原理は、何を信じているかにかかっています。
例えば、なぜ、その土地はそんな地名がつけられたのか。なぜ、そのような埋葬のされ方をされたのか。
そこには人間と神とのオカルト的な関係が大きく作用しています。

昔は神や仏、霊的な存在があるのが常識でした。
古代史の謎にせまるとき、古代人の心を知ろうとするとき、神仏や霊が当たり前に存在するという見方をしないと、古代史を正しく読み解くことはとうていできないのです。

科学が発達していなかった時代。現代人が想像する以上に、古代人は神とのつながりを求めていました。
自分がいったい何者なのか。なぜ生きているのか。血をどうやって受け継いでいくか。その答えを超自然的な存在に求めていたのです。
それらはすべて「オカルト」です。

現代は、科学の発達によってほとんどの自然現象に説明がつけられるようになりました。
神の存在も否定されるようになりました。
超自然的で神秘的なものを人間は認めなくなってしまったのです。

しかし、人間をとりまく世界の本質や人間存在の本質は科学の知識だけではとらえきれません。

「隠されたものへの探求」こそ古代謎解きの旅へのパスポート

オカルトはラテンのoccullta(隠されたもの)が語源であり、
オカルティズムは「隠されたものへの探求」を意味するとご説明しました。

古代の人間も現代の人間も、その心には精神という見えない神秘の世界が無限にひろがっています。
その「隠された」精神世界を探求するためにオカルトは必要なのです。

古代史をひも解くには、歴史学や考古学だけでは充分ではありません。
古代の人々にとって、彼らをとりまく森羅万象、自らの血統さえもすべて神とつながっていました。
千数百年以上前に生きた人々は、オカルトで世界を観ていたのです。
古代人が当たり前に信じていたオカルティズムを私たちも知らないと、古代史の謎を解くことはできないのです。

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