古代人が鏡餅に宿ると信じた神秘的なパワー

古代人が鏡餅に宿ると信じた神秘的なパワー

日本のお正月といえば昔から鏡餅や門松が欠かせません。
しかしなぜお餅や松が飾られるようになったのでしょうか。
そこには意外な由来が隠されていたのです。
今回は、鏡餅や門松に込められた神秘的な意味を古代史からひも解いていきます。

鏡餅の由来

鏡餅は文字通り、円い銅鏡のかたちが由来といわれています。
新鮮な米で搗(つ)かれた鏡餅は神が宿るための神聖な供物と考えられていました。
歳末から正月飾りとして供えらえ、鏡開きの日に歳神様の魂が宿った鏡餅を雑煮などにして食べました。
そこには歳神様から生命力をいただくという意味があります。
この風習は古代からあったものですが、特に江戸時代から庶民のあいだにひろまりました。
そして現代も受け継がれています。

ちなみに雑煮に入れる餅は関西が丸餅、関東が角餅というのが主流になっています。

丸餅

関西の丸餅は、鏡餅や稲魂をあらわした丸型で、この丸餅が古来より餅のスタンダードな形でした。

角餅(切り餅)

角餅は江戸時代に江戸町人のあいだでひろまったものです。
江戸時代当時、正月になると杵と臼をかついで長屋を餅を搗いてまわる業者があらわれるようになりました。餅米は客が用意しているので、あくまで餅米を搗いて餅にして客に渡す商売です。最初はきちんと餅を丸めて客に渡していたのですが、商売が流行り、需要が大きくなりました。人口が多かった江戸、いちいち餅を丸めていては全ての客を回ることができなくなってしまったのです。そこで、搗き上がった餅を木枠に伸ばし入れて客に渡し、客はあとでそれを自分の好きな大きさに切る、というシステムに変えたのです。
そこから、この餅つき商売が流行った江戸では、餅は包丁で切った角餅に変化を遂げたのでした。

鏡餅は蛇の姿

先ほど、鏡餅は円い銅鏡が由来になっていると書きました。
しかし、鏡餅の積み重なった形と銅鏡は、どうもイメージが重なりません。

銅鏡は鏡面に人の姿を映したり、光を反射させたりするものです。基本的に立てて使われます。鏡餅のように、横にして重ねて置かれることはありません。

じつは鏡餅は蛇がとぐろをまいている姿を現しているとも考えられています。
鏡餅を横から見ると紡錘形であり、まさに蛇がとぐろをまいた様子にそっくりです。

三輪山

奈良県桜井市に三輪山(みわやま)という神聖な山があります。
そのふもとには蛇神である大物主神(おおものぬしのかみ)が祀られている日本最古の神社・大神神社(おおみわじんじゃ)があり、三輪山がご神体になっています。
その三輪山も横から見ると、鏡餅と同じように、まるで蛇がとぐろをまいたようなきれいな紡錘形をしています。

縄文土器のモチーフに蛇が多用されていたように、日本でははるか昔から蛇への信仰がさかんでした。
神社のしめ縄なども、蛇が絡み合うようすを表現したものだといわれています。

じつは鏡餅のカガミという言葉自体も蛇が由来になっているのです。
蛇は古代語で「カカ」と呼ばれていました。鏡の語源は「カカメ」。つまりカガミには「蛇の目」という意味があったのです。

鏡餅の上には「橙」が置かれていますが、古くは「橘の実」が置かれていました。その実が置かれた鏡餅を上からみると、まさに「蛇の目」のように見えるのです。

古代、鏡は霊力が宿るものとして重要視されていました。邪馬台国の女王卑弥呼が鏡を儀式に使っていたことは有名です。また三種の神器の一つは八咫鏡ですし、神社のご神体としても鏡が数多く祀られています。

蛇もはるか古代から神聖視されていました。
蛇は脱皮をくりかえして成長していきます。その様子が死と再生をくりかえしているように古代の人々には見えたのでしょう。

鏡には古代日本人の蛇神への信仰がかくされていました。
さらにその信仰は鏡餅に姿をかえ、密かに受け継がれていたのです。

平安時代の正月は死者が生者に会いにくる日だった

平安時代中期の歌人である曾禰好忠(そねのよしただ)は次のような歌を詠んでいます。

魂祭る 年の終わりになりにけり 今日にやまたも あはんとすらむ

「今年も死者の魂を祀る一年の終わりがやってきた、正月を迎えたらまた、あなたに会えることでしょうね」、という意味の歌です。
平安時代、正月には死者の魂が友人や子孫に会いに来ると考えられていました。この歌はそのことを詠ったものです。

江戸時代になると、古代とはすこし正月に対する考えがかわってきます。
正月には「歳神様」という神様がやってくる日という考えが一般化していったのです。
これは陰陽道の信仰が江戸の町人にひろまったもので、その年の恵方から歳神様(歳徳神)という神様が新年の良運と年齢を授けにやってきてくれるという考えでした。
その信仰がやがて地方にもひろまり、現在にいたっています。

人の生業(なりわい)も、年齢も、運気も、一年を区切りにいったんリセットされると江戸時代の人は考えていました。
そして正月とは、新しい年を迎え、年齢も一つ増え、運気も更新される大きな節目の日だと信じられるようになっていったのです。

『源氏物語』にも書かれた「歯固め」という正月行事

平安時代に行われていた正月の行事に「歯固め」というものがあります。
現在ではあまり聞かなくなった行事です。
これは長寿を願って鏡餅などの固い食べ物を正月に食べる行事で、紫式部の『源氏物語』にも、

 ここかしこに群れゐつつ、歯固めの祝いして、餅鏡さへ取りよせて、千歳のかげにしるき年の内の
祝い事どもして

と、「歯固め」について書かれています。
餅の他に、干した猪肉や大根なども食されたようです。

「歯」には「年齢」の意味もあります。古代人も丈夫で健康的な歯が長寿をもたらすとわかっていたのです。

宮中では決して飾られることのない門松

ちなみに正月飾りといえば鏡餅とならび、門松も主流となっています。
門松の松には長寿、竹には実直という意味がこめられています。また「松は千歳、竹は万歳」といわれるようにたいへん縁起のよい植物です。
正月になると庶民の家には門松が飾られます。しかし朝廷では門松を飾ることは決してしませんでした。
庶民にとっては縁起のよいものとされる門松ですが、なぜ宮中で飾られることがなかったのでしょうか。

一つには、宮中には一年中、神がいるとされているからです。
当たり前のように神がいるから、庶民のように年に一回、歳神様をお迎えするようなことをしなくてもよいのです。

もうひとつ興味深い説もご紹介しましょう。
それは朝廷では「松の木が忌み嫌われていたから」、という説です。

縁起のよい松の木が忌み嫌われる?
なぜなのでしょう。不思議ですね。

じつは古来より松の木は「鬼の木」と考えられていたのです。

松の「公」の部分は昔は「八」の下に「白」と書きました。そこから「松」は「八白(はっぱく)の木」と呼ばれていたのです。「八白」は丑寅(鬼門)の方角にあたります。松は、鬼(凶兆をもたらす存在)が来る方角を表わす木。だから松の木は鬼の木と考えられ、朝廷から忌み嫌われたのです。

松竹梅も本当は不吉なものだった?

松竹梅はめでたく縁起の良いものとされています。
しかし宮中では、松が「鬼の木」と考えられていたように、竹と梅にも不吉なものがあると考えられていたようです。
竹は切ると「筒」になります。最近は見なくなりましたが、昔はかまどなどの火吹きによく使われていました。この「筒(つつ)」は古代語で「星」という意味がありました。星は人間の凶兆をあらわすものです。また筒は異界への道になるものとも考えられていました。

梅については、「埋め」を連想させます。梅という字は、大阪の梅田のように、たんに埋め立てられた土地を意味することもありますが、人を埋める、といった不吉な意味が込められることもあります。古代には大王などの高貴な人物が死ぬと、殉死と称して何人もの人が埋められるという風習があったのです。

このように、古代の人々は松竹梅が不吉なものを象徴するからこそ丁重に祀り、祟りやわざわいをもたらさないように注意していたのかもしれません。
それがいつしか、めでたく縁起の良いものとして庶民にひろまっていった。
しかし朝廷では本来の意味を忘れず、松竹梅を忌み嫌い続けた、ということなのかもしれません。

稲魂の霊力を体内にとりいれた古代人

稲や米は日本人にとって、とても大切な意味をもつ食べ物です。それは古代からかわりません。
古代の人々は、稲には人間の生命力を強める神のパワーが秘められていると考えていました。
稲にこもっているその霊的なものを稲魂(いなだま)といいました。

毎年一回収穫されるお米を食べることで、神のパワーを体内にいただき、生命力がアップすると古代の人々は信じていました。

やがて米は鏡餅のような神聖な形を模す形になり、人生の節目である新年に餅を食べ、長寿を願うようになっていったのでしょう。

搗き固められて作られた餅には強力な霊力が宿る

 

稲や米の霊力は、酒にしてもその力を強めると信じられていました。現在でも伝統的な神前スタイルの冠婚葬祭でもお酒は欠かせない存在です。また酒は百薬の長ともいわれていることからも、酒が人に生命力を与えてくれる特別な存在と考えられていたことを証明しています。

もち米を搗き固めて作られた餅はさらに強い霊力が込もっていると考えられ、古代から神聖な食べ物として大切にされてきました。

奈良時代の『山城国風土記』や『豊後国風土記』には、餅の神聖さをあらわすあるエピソードが記録されています。
それによると、餅を弓矢の的にして射貫こうとしたところ、その餅が白鳥になって飛び去ったというのです。その後、その地域の水田は荒れ果て、人々も死に絶えてしまったといいます。

古代人は、白く搗き固められた餅には、それだけの霊性が宿っていると信じていましたので、餅を粗末に扱わないようにしていたのです。

自然の恵みは人間を生かしてくれるが、自然は人間の命を簡単に奪う恐ろしいものでもある。
畏れをいだきつつ丁重にあつかわなければならない。

「餅」という私たち日本人にとって身近な食べ物ひとつとっても、このように古代人の大切にしてきた思想が込められているのです。

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