花見の起源~なぜ日本人はサクラを愛でるようになったのか~

花見の起源~なぜ日本人はサクラを愛でるようになったのか~

お花見シーズンまっさかりですね。
すでに花見に参加された人も多いのではないでしょうか。
この時期は、入学式や入社式などがおこなわれ、新生活のはじまる季節でもあります。
花見が新人歓迎会をかねるケースも多いですよね。

現在、桜の品種として一番身近なソメイヨシノは江戸時代末期に作られました

ところで、日本人になじみ深い花見ですが、なぜ日本人は花見をするようになったのかご存知ですか?

庶民の行楽としての花見は江戸時代に広まりました。
でもその起源ははるか古代にさかのぼることができるのです。

一般的に奈良時代の貴族の行事が起源とされている花見ですが、実はその起源はもっと古く、稲作が始まったころにその原型があったといわれています。
じつは稲作と花見は切り離すことができないものだったのです。

なぜ日本人はサクラを愛でるようになったのか。
そして、なぜサクラが日本を象徴する花になったのか。

その謎を解く鍵は、はるか古代に結ばれた日本人とサクラの深い関係にあります。

ということで今回は花見とサクラの謎に迫っていきます。

文献史料に残る日本最初の花見

一般的に花見は奈良時代の貴族の行事が起源だといわれています。
しかし文献にはじめて花見が登場するのは平安時代に入ってから、『日本後記(にほんこうき)』という朝廷が編纂した歴史書においてです。
そこには

嵯峨(さが)天皇が812年3月28日に神泉苑(しんせんえん・京都にある寺院)で、「花宴の節(かえんのせち)」を催した。

と書かれています。
これが記録に残る最初の花見とされています。

嵯峨天皇

嵯峨天皇が催した花見の主役は、もちろん桜でした。
しかし、その前の時代は花見の主役が桜ではなかったことをご存知でしょうか。

奈良時代の花見は「梅の花」を見ることだった

花見そのものは奈良時代に貴族たちの間で流行していましたが、そのときの花見の主役は「梅」だったのです。

桜は日本の在来種ですが、梅はそうではありません。
梅は中国大陸からもたらされたものでした。

梅の花

奈良時代、遣唐使によって梅が伝来してきました。
舶来品である梅を愛でることは貴族たちにとってステータスだったのです。

奈良時代の花見は、梅の花の美しさを鑑賞することが本来の目的ではありませんでした。
梅の花には魔除けの力があると信じられていました。
そのため、奈良時代の花見は、厄払いの儀式的な意味合いが強かったといわれています。

平安時代に花見の主役が桜に変わった理由

このように平安時代初頭の嵯峨天皇までは、花見といえば梅だったのです。

では、なぜ嵯峨天皇の時に「梅→桜」という変化がおこったのでしょうか。

きっかけは、嵯峨天皇が地主神社に植えられていた桜をたまたま見かけて、そのあまりの美しさに魅了されたからだといわれています。
地主神社の境内に咲く見事な桜の美しさに、牛車を二度、三度と引き返させて眺めたと伝わっています。
それ以来、嵯峨天皇は毎年神社から桜を献上させ、梅ではなく桜の花見を催すようになったようです。

地主神社の桜(地主桜)―嵯峨天皇の故事から「御車返しの桜」とも呼ばれるように

こうして桜の花見は、貴族たちにも一気に広まっていきました。
やがて桜の花見は天皇主催の定例行事として取り入れられるようにもなり、皇族や貴族などの上流階級のあいだで定着していったのです。

京都の東山などに桜が植えられ、現在にも続く花見の名所が誕生していきました。
また貴族たちも屋敷の庭に桜を植え、常日頃から桜を愛でるようになっていきました。

東山公園の桜

梅から桜への変化は和歌にもあらわれています。
万葉集』には桜を詠んだ歌が43首しかなく、かたや梅を詠んだ歌が110首もありました。
ところがそのあとの平安時代に編纂された『古今和歌集』では、桜を詠んだ歌が70首にたいし、梅を詠んだ歌がたったの18首と、桜が梅に大逆転しているのです。

それとともに、「花」といえば桜の花をあらわすようになり、桜の花が美しさの象徴とされるようになるのです。

サクラには田の神様が宿る

桜とはそもそも日本人にとってどんな存在なのか。
桜の語源を知ればよくわかります。

サクラは意味的に「サ」と「クラ」に分けることができます。
「サ」は田の神様のこと、つまり「サ神様」をあらわしています。
稲の苗をあらわす早苗(さなえ)の「さ」もそうですし、田植えをする若い女性をあらわす早乙女(さおとめ)の「さ」も田の神様が由来です。

「クラ」は、サ神様が鎮座する場所をあらわす言葉です。神様が鎮座する場所を神座(カムクラ)とか磐座(イワクラ)と言ったりしますが、それと同じ「クラ」です。

「サクラ」とは、田の神様が鎮座する木という意味。
つまり桜とは、神の依代(よりしろ)となる神聖な木だったのです。

現在でも持ち帰るために桜の枝を折ったりするのは良くないことだと考えられています。桜の木はとても弱く、枝を折られるとそこから腐りやすくなります。また、単純にマナー的にも枝を折ることは良いことではありません。
でも日本人が桜の木を傷つけたがらない理由はそれだけではないのです。
それは日本人の中に、桜は「神が宿る神聖な木」だと信じる心があるからなのです。

桜と稲作と日本人の密接な関係

さて最初に、桜は稲作と密接な関係がある、と書きました。
そのことについて解説していきましょう。

昔々、田の神様は普段は山の上にいると信じられていました。
その神が春になると山から降りて来て桜の木に宿ります。すると、その桜の木は開花すると考えられたのです。
桜の開花=田の神様が山から降りてきた証拠であり、その合図をきっかけに、昔の人々は田植えを始めました

古代には正確な暦もなかったし、現代のような気象観測技術もありませんでした。春になってなんとなく温かくなってきたことはわかっても、はたして本当に田植えに適した時期がやってきたのかは、なかなか判断するのが難しかったのです。
稲というのは繊細な植物で、気温が15度以下の時期に苗を植えても育ってくれません。田植えする時期を間違えると大変なことになってしまうのです。

そこで参考にしたのが桜の開花でした。
桜は春になり気温が15度を超えてくる時期に開花を始めます。
古代の人々は、開花する美しい桜の花を見て、「もう田植えの時期だよ」という神からのメッセージを受け取っていたのです。

日本人にとって米はなくてはならないものです。
実りをもたらしてくれるサ神様(田の神)は日本人がなにより大切にしてきた神さまです。
そんな田の神が宿る桜の木が日本人にとっていかに大切なものか、よくわかりますよね。
桜の花が日本の象徴としてあつかわれるのも、うなずけます。

日本人がサクラを愛でる理由と、花見の本当の起源

これまで何度もお話ししてきたように、開花した桜の木は田の神が宿っています。
古代の人々はそんな桜の木に供え物をし、丁重に祀りました。
祀りの儀式が終わると、供え物(お酒や食べ物)を皆でわけあい、飲み食いしたのです。
じつは、これが本当の花見の起源といわれています。

かつては桜といえば八重桜だった

古代、人々は桜の開花を合図に田植えを始めました。たくさんの人たちが力を合わせておこなうとても大変な作業でした。
そうこうしていると、やがて桜は満開になります。
人々は、満開の桜の木に供え物をし、祈りを捧げました。
「今年もまた豊かな実りをもたらしてくださいますように――」
そして桜の花びらが美しく舞うなか、人々は飲み、食い、神に感謝したのです。

江戸時代の花見の様子。歌川広重「浪花名所図会 安井天神山花見」

日本人は、はるか昔からずっと桜の中に神を感じ、神聖視してきました。

花見という行為は今も行われています。
しかし、どれだけの日本人が、その起源を知っているでしょうか
ただ飲んで騒ぐだけになってしまっているのはもったいない気もします。

花見には意味があります。
桜という存在に、古代人がどんな思いを抱いていたか。

現代の花見は形骸化し、楽しく飲み食いするだけの交流の場になりました。
そんな騒がしい花見の席でも、ふと美しく咲く満開の桜を見上げ、古代人と同じように神を身近に感じてみるのもまた日本人として乙なものかもしれません。

そこには、古代から日本人が大切にしてきた意味や由来があるのですから。

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