縄文人はお酒を飲んだのか?

縄文人はお酒を飲んだのか?

人間がお酒を作るようになったのはいつ頃からかご存知ですか?
最古のお酒といわれているワインは、紀元前5000年頃には作られていました。

現在ジョージアという国があるコーカサス地方がワイン発祥の地とされています。ワイン文化は、古代ローマ時代にはヨーロッパ全土に広まっていきました。

紀元前3000年頃になると、古代メソポタミアエジプトビール作りが始まりました。
中世になると、蒸留技術が確立し、ウイスキーやブランデーが作られるようになっていきます。

人類とお酒の関係は数千年にもおよびます。
お酒は各地の風土に育まれながら、さまざまな変化をとげ、世界中の人々に親しまれてきました。

もちろん日本も例外ではありません。
日本人とお酒の付き合いは古く、なんと縄文時代までさかのぼることができます。
日本人とお酒との関係はどのように始まったのか。
今回は縄文人のお酒との付き合いをみていくことにしましょう。

お酒は農耕民族の文化?

日本では弥生時代、大陸から水稲が渡来してきてから米麹を使ったお酒が作られるようになったことがわかっています。日本酒の起源ですね。このお酒はもともと、神に捧げる神聖なものとして作られていました。

3世紀末に書かれた中国の歴史書『魏志倭人伝』には日本に住む倭人の飲酒について、
人性嗜酒(さけをたしなむ)
歌舞飲酒
という記述がみられます。

魏志倭人伝

つまり、卑弥呼の時代の日本人は、酒をたしなみ、死者が出て喪にふくするときも歌い踊りながら酒を飲んだ、と当時の飲酒の風習が記録されているのです。この『魏志倭人伝』の記述から、古代日本には酒文化が浸透しており、さらに古代日本人はかなりのお酒好きだったことがわかります。

このように農耕文化が定着した弥生時代には日本人はお酒をたしなんでいました。
民族学的には、「お酒は基本的には農耕民が作るものだ」というのが定説になっています。

弥生時代の稲作

お酒作りは、米や麦にカビのような菌をはやして麹(こうじ)をつくるところからはじまります。麹が米や麦のデンプンを糖に分解して、それを発酵させたものがお酒になるのです。

米に種麹をまぜる(出典:六花酒造株式会社)

酒作りの文化が発達するためには大量の穀物が必要であり、「狩猟民からは酒作りの文化は産まれない」と考えられています。

実際、アメリカ先住民のネイティブ・アメリカンやオーストラリアのアボリジニの社会に飲酒文化が入って来たのは大航海時代以降の白人がやってきてからだといわれています。

野生の猿がお酒を作った?

猿酒」というお酒をご存知でしょうか。
猿酒とは、猿が木のくぼみなどに果実をため込み、それが発酵してできあがったお酒のことです。
満月の夜になると猿たちは自分たちが作った猿酒で酒盛りをした、という伝説も伝わっています。

猿酒というものは果実が自然に発酵してお酒になったものです。
果実が集まって放っておかれると、自然界にある天然酵母がその果物に付着し、糖分が発酵して勝手にお酒ができることがあります。
自然界で偶然にお酒ができることがあるのです。
しかし肝心の味ですが、腐ったような(といっても本当に腐っているのですが)味がして、決して美味しいものではないといわれています。

このように自然の中で偶然つくられたお酒が、人類が飲んだ最初のお酒だと考えられます。

縄文時代の遺跡から見つかった酒造りの痕跡

狩猟採集民であった縄文人も猿酒のようなお酒を作っていたのでしょうか。

じつは日本には果実酒の伝統はないといわれています。
江戸時代の書物には、桑酒やみかん酒、ヤマモモから作られた揚梅酒といったお酒が紹介されています。これらは薬酒としても珍重されていました。しかし、これらのお酒は純粋な果実酒ではありませんでした。アルコールに果実などを漬けて香りや味を足した、いわゆるリキュールだったのです。

ヤマモモ

こういった事実からも、やはり酒造が始まったのは農耕文化が定着した弥生時代からで、縄文時代にはお酒が作られなかったと考古学的に考えられてきたのです。

ところが近年、秋田県の池内遺跡や青森県の三内丸山遺跡などで縄文人が酒造した痕跡が発見されました

三内丸山遺跡

ニワトコやヤマブドウの種が大量に見つかったのです。これらの種は植物の繊維であまれた布のようなものに包まれてみつかりました。ニワトコはヨーロッパでも果実酒の原料にされているスイカズラ科の植物です。種とともに、発酵した果実に集まるショウジョウバエのさなぎも大量に出土しました。

ニワトコの果実

縄文人は、これらの果実を大量に集め、乾燥させて糖度と高め、煮出したあとで発酵させてお酒を作っていた可能性が高いのです。

縄文土器にみられる飲酒の痕跡

林王子遺跡出土有孔鍔付土器(出典:厚木市HP)

出土数は少ないですが、有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)という酒造に使われたと考えられる土器も見つかっています。
これは口の部分が水平になっており、口縁部にそってたくさん穴があけられているのが特徴の土器です。この口の部分に板で蓋をして、口縁部の穴に釘のようなものを打ち込んで蓋を固定すれば中身を密閉できるようになっています。

ヤマブドウ

この有孔鍔付土器の底からはヤマブドウなどの果実の痕跡が見つかっており、土器内ですりつぶした果実を発酵させ、ワインのような果実酒を作っていたのではないかと考えられています。

注口土器

また急須のような形の注口土器も見つかっています。これは明らかに液体を注ぐための土器です。しかしこの中には液体がほんの少ししか入りません。つまり縄文人は、この注口土器には水よりもずっと価値のある液体を入れていたと考えられるのです。価値のある貴重な液体、それはきっとお酒でしょう。

縄文人はなぜ酒を飲んだのか

農耕民にとってお酒は、神に捧げるために作られたものであり、捧げ終えた酒を人間が飲むことで、神と人間を繋いでくれるものでもありました。
狩猟採集民であった縄文人にとってもお酒は同じように神聖なものだったことでしょう。
オーストラリアの先住民アボリジニは、祭祀などの特別なときに気分を高揚させて神と繋がるためにお酒を飲みます

同じように縄文人も自然の中にいる神と繋がるためにお酒を作り、飲んだのではないでしょうか。
お酒の文化は、古代のシャーマニズム文化とともに始まっていったのです。

縄文・弥生カテゴリの最新記事