古代史からひも解く「名字」のルーツ

古代史からひも解く「名字」のルーツ

わたしたち日本人は、あたりまえのように名字を使っています。
日本人の名字はどれくらいあるかご存じですか?
その数、なんと30万種類です。
ちなみに一番多い名字は、「佐藤」、以下、2位は「鈴木」、3位「高橋」、4位「田中」、5位「伊藤」と続きます。
どれもなじみのある名字ばかりですね。

下の名前は名付けてくれた人(その多くは両親ですが)に訊けば、その由来がわかります。
でも、名字についてはご先祖様からずっと伝わってきたものなので、由来はなかなかわかりません。

そもそも日本人はいつから名字を使い始めたのでしょうか。
また、日本で一番古い名字はなんなのでしょうか。

今回は、わたしたちがあたりまえに使っている名字のルーツを、古代史からひも解いていきます。

縄文時代、弥生時代の名前事情

石器時代はもちろん、縄文時代とそれに続く弥生時代にも名字というものは存在しませんでした。
名字はありませんでしたが、弥生時代になると中国の歴史書に日本人(倭人)の名前が出てきます。

2世紀に書かれた後漢書に「帥升(すいしょう)」という人物が登場します。
彼が日本の歴史上はじめて史書に名を残した人物であり、「帥升」というのがはじめて出てくる倭人の名前です。

その後、3世紀になると『魏志倭人伝』に、みなさんもご存じの邪馬台国の女王「卑弥呼(ひみこ)」が登場します。
さらに同書には、卑弥呼が魏に使わした「難升米(なしめ)」や「都市牛利(としごり)」、卑弥呼のあとをついだ「臺與(台与・「とよ」・もしくは「いよ」)」など、何人もの名前が出てきます。

しかし彼らは「鈴木卑弥呼」とか「田中臺與」というように名字つきで歴史書に書かれているわけではありません。
弥生時代には、卑弥呼のような身分の高い人物でも名字というものを持っていなかったと考えられるわけです。

弥生時代には名字はなかった。
では、はじめて名字ができたのはいつなのでしょうか。

大和朝廷による豪族支配と「氏姓制度」

大和政権がおこなった「氏姓制度(しせいせいど)」という制度によって、日本人にはじめて名字のもとができたと考えられています。
「氏姓制度」ですが、「氏」と「姓」はどちらも現在は、「氏名」や「姓名」というふうに、名字をあらわす言葉として使われています。
しかし、当時は「氏」と「姓」には使い分けがありました。

大和政権は、大王がトップに立つ政権でした。
大王を頂点として、豪族たちがそれに付き従うというピラミッド型の支配体制だったのです。
大和政権が支配力を強め、領土をひろげていくと、大王に従う豪族たちも増えていきます。
大王は、豪族たちに序列を与え、身分に差をつける必要がでてきたのです。

どういうことかと言うと、大王に最初から忠誠を近い、共に戦ってきた豪族と、後から仲間に加わってきた豪族を同列にあつかうことはできません。
やはり最初からともに大和政権を作ってきた豪族を、大王としては優遇したいわけです。
さらに大和朝廷の規模が大きくなっていくと、仕事も増えてきます。それを細かく豪族たちに振り分ける必要もでてきた。
政権内での身分や担当している仕事を、わかりやすく表わさなければならなくなったのです。
そこで考えられたのが「氏姓制度」でした。

大和朝廷は、全国の豪族たちに「氏(うじ)」と「姓(かばね)」を与え、身分や役職を明確にしていったのです。

氏(うじ)とは……

大王は、最初期から大和政権と共に歩んできた豪族に、まず「氏」を与えました。
それが一番位(くらい)が高い「氏」である、葛城(かつらぎ)、春日(かすが)、蘇我(そが)などです。

位が少しさがりますが、大和政権に付き従い大きく貢献してきた豪族に与えられたのが、
大伴(おおとも)、物部(もののべ)などで、これは大和政権内での職務も表わしていました。

さらにその下の豪族に、秦(はた)や服部(はっとり)という氏が与えられました。

つまり「氏(うじ)」とは血縁関係で結ばれた豪族のひとまとまりの集団なのです。
この「氏」を束ねるのが大王をトップとする大和朝廷、という図式です。

現在の名字にあたるのが、この「氏」になります。
そしてこの時代は、「氏」ごとに担当する役割が決まっていたのです。

姓(かばね)とは……

「氏(うじ)」だけでは、だれがどれくらいの身分かわかりません。
そこで、「氏」とセットで考え出されたのが「姓(かばね)」です。

大王が大和という国をつくるためには、大和にもともといた豪族たちの協力が必要不可欠でした。
彼らが大王と一緒に国作りをしてくれたから大和朝廷ができあがったのです。
彼ら豪族こそ、葛城や春日、そして蘇我で、大王が奈良に東征してくる以前に奈良にいた有力豪族たちだったのです。

葛城や春日、蘇我に与えられた「姓」が「臣(おみ)」です。

大伴や物部には「連(むらじ)」という「姓」が与えられました。
この氏は、専門的な技術をもち、古くから大王家を助けてきた一族にあたえられました。
大伴は軍事面で大王をささえていましたし、物部は祭祀のプロフェッショナルでした。

さらにその下の秦や服部には「伴造(とものみやつこ)」という氏が与えられたのです。

「氏」と「姓」による大和政権マネジメント

このように、大和朝廷は、有力豪族に「氏」をつけ、一族のグループにわけ、さらに「姓」を与えてその身分を明確にしていきました。
これを「氏姓制度」というのです。

この「氏姓制度」ですが、現在の会社組織にあてはめてかんがえるとわかりやすいです。
会社のトップに立ち、すべての責任を負うのが最高経営責任者(CEO)で、これが大王にあたります。
ナンバー2は、事業を実務的にひっぱっていく最高執行責任者(COO)で、これが大臣(おおおみ)。
事業をおこなうにあたって必要な技術をつかさどるのが最高技術責任者(CTO)で、これが大連(おおむらじ)にあたります。
そして、会社の財産や社員を把握し、それをどううまく生かしていくかを考える最高知識責任者(CKO)にあたる、伴造(とものみやつこ)。

「会社(大和朝廷)」のトップであるCEO(大王)のもとに、COO(大臣)やCTO(大連)やCKO(伴造)が集結し、事業を進めていくイメージです。
ちなみに、大臣や大連には、臣や連のトップが就任しました。

大和政権が勢力をひろめ、あらたな土地と豪族を支配すと、その豪族にも「氏」と「姓」を与えました。
このようにして大和政権は組織力を強固なものにしていったのです。

破綻した「氏姓制度」

このようにして定められた氏姓制度ですが、支配豪族の数が増えると、それにともない、姓の数もどんどん増えていきます。
そうなると、臣や連などのような「姓」だけでは、氏の間で誰が誰だかわからなくなってくるのです。
「姓」の存在意義がなくなってくるのです。
さらに聖徳太子の時代になると、「冠位十二階」がはじまりました。
「冠位十二階」は氏や姓にとらわれず、実力ある者が大和朝廷に登用される制度なので、身分をあらわす姓はますます存在意義をうしなっていったのです。
やがて姓は使われなくなっていきます。

氏に関しても問題がでてきました。
ある一部の氏が勢力を持つようになってきたのです。
そうなると、同じ氏を持つ者が朝廷内にたくさん出てきます。
すると、これも誰が誰だかわからなくなるのです。

具体的には、藤原氏がそうです。
藤原氏はもともと中臣氏でしたが、天皇から藤原の氏を与えられ、平安時代になると、その勢力は絶頂期を迎えました。
そうなると、朝廷内のあちこち藤原氏だらけになるという事態がおこってしまったのです。

出身地や役職から誕生した日本人の「名字」

さて、同じ氏の者が多くなりすぎて、誰が誰かわからなくなってしまった。
それでは困ってしまうわけです。

そこで同じ氏内でも個人を判別するために、出身地からとった名前を名乗るようになったのです。
藤原氏でいうと、「伊勢の藤原氏」だから「伊藤」、だったり、「加賀の藤原氏」だから「加藤」というふうに、自分たちで氏を作っていったのです。
これは出身地だけでなく、斎宮寮という役職の藤原氏だから、「斎藤」というふうに仕事などからも作られました。

さらに武士が登場すると、武士は自分が守っている土地の名前を自分の名前として使うようになりました。
武士が守るこの土地を「名田(みょうでん)」といいましたが、ここから「名字」という言葉が生まれたようです。

天皇から与えられた「氏」と勝手につけた「名字」の見分け方

「氏(うじ)」は、大王(天皇)によって与えられるものでした。
しかし、氏姓制度の破綻や、新興勢力である武士の台頭などで、出身地などを由来にして自ら名付ける「名字」が誕生しました。

天皇から与えられた由緒正しい「氏」と、自分で考えて勝手に名乗った「名字」――
この二つには見分け方があります。
それは「の」が入るか入らないか。

平氏も源氏も天皇から与えられた由緒ある名ですが、
平清盛(たいらのきよもり)、源頼朝(みなもとのよりとも)というふうに、「の」が入ります。

しかし、同じ武士でも室町幕府をひらいた足利家は、足利尊氏(あしかがたかうじ)というように「の」が入りません。
織田信長も武田信玄も徳川家康も自ら名乗った名字ですから「の」が入りません。
豊臣秀吉はどうでしょうか。「とよとみひでよし」と呼ばれることが多いですが、じつは正確には「とよとみのひでよし」と読みます。
豊臣は天皇から与えられた由緒正しい「氏」だったのです。

明治時代以降、身分に関係なく一般庶民も正式に名字を名乗るようになりました。
しかし、日本のだれもが名字を持つようになったこの時代に、名字がない人がいます。
それは誰でしょう?
答えはおわかりですよね。
そう、天皇です。
一番エライとされる天皇だけは、昔も今も「氏」や「名字」は持っていないのです。

上に書いたように、「氏」や「姓」は天皇が目下のものに与えるものでした。
古代、天皇より上の存在はこの世にはいないと考えられていましたから、天皇には「氏姓」がないわけです。
その考えが2000年の時を経て、現代にまで受け継がれているのです。

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