古代の大地震と1000年に一度の大地動乱

日本は地震大国です。日本に住んでいる限り、地震から逃れることはできません。日本はなぜこれほどまでに地震が多い国なのでしょうか。
とくに近年、地震が多いなあと思ったことはありませんか?

地球の表面は「地殻」で覆われています。地殻は14枚のプレートにわかれていて、年間数センチという非常にゆっくりした速度で動いています。巨大地震はその「プレート境界」で起きるのです。
日本列島付近には、太平洋プレート、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートいう4つのプレートがせめぎ合っています。だから日本は大きな地震が多いのです。

プレートの境界線付近で地震がおきる(ウェザーニュースより)

2011年3月11日に、1000年に一度の規模といわれる東日本大震災が起こりました。
この未曾有の大災害によって15000名以上の尊い命が奪われ、いまも3000名近い人が行方不明のままです。

想定外」といわれたあの3.11大地震から10年近く経ちますが、この間にもたくさんの大きな地震が日本を襲っています。近年だと、熊本城に大きな被害をもたらした2016年の熊本地震が記憶に新しいですね。

これから近い将来に必ず起こると言われている代表的な地震に、「南海トラフ地震」と「首都直下地震」があります。
現代の科学技術をもってしても地震がいつ起こるのかを予知することはできません
それがなぜ南海トラフ地震と首都直下地震については「必ず起こる」といわれているのでしょうか。
また3.11東日本大震災は1000年に一度の大震災といわれています。ということは1000年前にもあの規模の大震災があったのでしょうか。

古代の地震災害を紐解きながら、その答えに迫っていきましょう。

 

日本で最初に記録された地震と古代に発生した大地震

記録が残っている最古の地震は『日本書紀』に書かれている允恭天皇5年(416年)の7月14日の地震です。しかし、地震があったと書かれているだけで、詳しい被害状況などの詳細は明らかにされていません。

初めて地震が記録された416年から平安時代が終わる12世紀まで、マグニチュード7以上の大地震は20回も発生しています。
ただしこれはあくまで「記録」に残っている大地震の数です。情報網が未発達だった古代のことですから、地方で起こったけれど中央政権までその情報が伝わらなかった地震がかなりあったと想像できます。

『日本書紀』に記録された古代の地震

天武13年(684年)10月14日、古代史で最大の被害を出したとされる地震が発生しました。
これを「白鳳地震」といいます。
推測される地震の大きさはマグニチュード8.4以上。震源地は東海、東南海、南海と、三箇所が連動して発生した巨大地震だったようです。太平洋沿岸が主な被害地域でしたが、それだけ大きな地震ですから、被害は全国におよんだようです。

『日本書紀』にはその被害状況が書かれています。
それによると、

山崩れや液状化現象で建物が倒壊、人がたくさん死傷。家畜も大量に死んだ。
高知では海岸線が陥没、そのあと大津波が襲来し、たくさんの船が流された。
愛媛の道後温泉や和歌山の牟婁温泉では温泉の湧出が止まった。

など、かなりの被害が出ていたことがわかります。

この大地震が発生したのは天武天皇の時代です。「壬申の乱」という古代最大の内乱を経て、薬師寺に代表される白鳳文化が花開いた時代でした。
「天皇」という称号や「日本」という国号が制定されたのも天武天皇の治世です。つまり日本が新たなスタートをきった時代でした。日本という国が産声をあげた激動の時代に呼応するかのように、白鳳地震以外にも地震の記録が多くあり、日本列島が地殻の活動期に入っていたと考えられています。

天武天皇

このとんでもない被害をだした「白鳳地震」こそが、近年また起こるといわれている「南海トラフ地震」そのものなのです。

国宝『山田寺仏頭』白鳳時代を代表する仏像。薬師如来の頭部のみ現存。

古代に記録された東日本大震災【貞観地震】

白鳳地震に続いて、平安時代前期の貞観(じょうがん)年間にも大きな地震が発生しました。
これが『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』という書物に記録されている「貞観地震」で869年に発生しました。震源地は三陸沖で、推定マグニチュード8.3以上という古代で最大クラスの地震でした。

貞観地震が記録された『日本三代実録』

陸奥国(東北地方)はこの地震と津波で壊滅的な被害をうけました。
『日本三代実録』にはその被害の様子が次のように書かれています。

突然、大地が大きく揺れた。
すると暗闇に光が流れ、まるで昼のように明るくなった(夜間に発生したと考えられる)。
人々はあまりの揺れに叫びながら大地に伏して、立ち上がることもできなかった。
倒壊した家屋に押しつぶされたり、裂けた地面に転落したりして命を落とす人が多数でた。
牛や馬などの家畜はパニックになって逃げだし、鳴き声をあげながら走り回りまわった。

まるで神の怒りが爆発したような災害です。
圧倒的な自然のエネルギーを目の当たりにして、当時の人々はさぞ恐れおののいたことでしょう。

当時、東北地方への支配を強めるための軍事・行政の拠点である多賀城が現在の宮城県に置かれていました。現在の多賀城市の由来になっています。
この多賀城も壁や門や櫓が崩れるなど、大きな被害を受けたようです。周囲でも、とても数え切れないくらいの家々が倒壊しました。
海もまるで雷のような叫び声をあげました。そして、おそろしい高さの波が海から押し寄せて、大地を襲いました。津波は多賀城下にまでやってきました。原野だった場所は、たちまちにして海になってしまったそうです。津波の威力はすさまじく、人々は船で逃げることも山へ登ることもできませんでした。逃げ遅れた1000名以上の人々が犠牲になったそうです。奇跡的に生き残れた人々も、財産や稲も何もかも津波に押し流されてしまい、途方に暮れてしまいました。
まさに地獄絵図です。

当時の人口は推定600万人で、現在の約20分の1ほどだと考えられています。
津波による被害者1000名は、現在なら20000名にあたる甚大な被害者数になります。

多賀城復元模型

この貞観地震は、震源地、地震の規模、津波などの被害状況がすべて3.11東日本大震災に酷似しています。
2011年の東日本大震災は1000年に一度おこる規模の大地震だといわれました。
その「1000年前の地震」こそがこの貞観地震のことだったのです。

大地動乱の9世紀日本

869年の貞観地震の前後数十年にさまざまな災害が発生しています。
たとえば大きな地震だけでも、818年に北関東、827年には京都、830年と850年には山形・秋田、863年には新潟、868年には兵庫、869年には奈良と熊本、878年には南関東、880年には島根と直下型地震が連続して発生。
さらに887年には「仁和地震」が起こり、大阪は津波に襲われ、京都でも数多くの建物が倒壊、相当な数の死傷者を出したようです。
近畿地方に甚大な被害をだしたこの仁和地震は、南海トラフ大地震だと考えられています。南海トラフ地震は、およそ100年から200年の周期で必ず起こる地震ですが、仁和地震は白鳳地震の次に起こった南海トラフ地震でした。

(FNNニュースより)

日本各地で噴火も頻発しました。富士山も大噴火を起こしています。
800年と802年の延暦噴火、さらに864年に起こった貞観大噴火です。
貞観大噴火の規模はすさまじく、このときに精進湖や西湖ができました。また流れ出た大量の溶岩が大地を覆い尽くし、そこに木々が生い茂ることで現在の青木ヶ原樹海が形成されました。

まさに9世紀の日本列島は大地動乱の時代でした。
1000年前は大変な時代だったんだなあ……と思ってしまいますが、現代のわたしたちにも他人ごとではありません。
じつはわたしたちも、古代人と同じ体験をしているかもしれないのです。

私たちはいま1000年ぶりの【大変動期】にいる!

貞観地震の前後数十年に起こった地震災害は、3.11東日本大震災の前後に起こった地震と驚くほど符合しています。

わたしたちが生きるこの時代も、日本は1000年に一度の大変動の時代にあるのです。
3.11は終わりではなく、これから起こる大きな災害の始まりに過ぎません
南海トラフ地震や首都直下型地震など、甚大な被害をもたらすであろう大地震は確実に起きます。
あとはそれがいつ起きるのか……。
古代に起きた地震を見ていけば、そのヒントがわかるかもしれません。

貞観地震が起きた9年後の878年に、現在の首都圏あたりで「相模・武蔵地震」と呼ばれるマグニチュード7.4クラスの直下型大地震が発生しています。
さらにこの9年後の889年に、東海・東南海・南海の連動型地震が発生していますが、これがさきほど説明した南海トラフ地震の「仁和地震」です。

これらの地震を21世紀に当てはめてみると、貞観地震は2011年の東日本大震災にあたります。つまり、それから9年後、東京オリンピックが開催される2020年に首都直下型地震が発生するということになります。
また、さらにそこから9年後、2029年には南海トラフ地震が起こる計算になります。

貞観地震と東日本大震災の比較。9世紀に起こった地震と驚くほど符合している。(鎌田浩毅著『西日本大震災に備えよ』より)

もちろん、貞観地震前後の状況とまったく同じ通りに地震が起こるわけではありません
しかし、これらは紛う事なき歴史的事実なのです。

未来を解く鍵は過去にある

政府の地震調査委員会は2014年に、首都直下地震が起こる確率は今後30年で70%と発表しました。

大きな災害はいつ起きてもおかしくありません。
地球が大きな変化をむかえているのなら、激動の時代を生き抜くために、わたしたちも「変化」に対応するための知恵を身につけなければならないのかもしれません。

2011年のあの未曾有の震災を体験する以前は、古文書にあった1000年前の貞観地震の記録は、あまり重要視されていませんでした
古代人が体験したことなど、しょせん絵空事のようにおもわれていたのです。

しかし、想定外の大災害は現実に起こりました。

3.11東日本大震災をきっかけに、私たちの意識は変革しつつあります
過去からもっと学ぼうと……。

大地の動乱期は、その大地に生きる人間の変動期でもあります。
つまり、わたしたちは人間としても1000年に一度の大きな変革期を迎えているのです。

古代人は歴史にメッセージを刻みました。
それは現代に生きる私たちへのメッセージにほかなりません。
わたしたちはそれを読み取る努力をしなければならないのです。
未来を解く鍵は過去にあるのですから――

 


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