日本の建国は、なぜ神話時代までさかのぼらなければならないのか② ~世界最古の王朝がある日本~

日本の建国は、なぜ神話時代までさかのぼらなければならないのか② ~世界最古の王朝がある日本~

日本人と天皇

日本という国と天皇は切り離すことができません。
現在の日本国憲法では、天皇は日本国の象徴と定められています。
第二次世界大戦後、明治以降の皇国史観は徹底的に否定されました。国内外から天皇の戦争責任を問う声があがり、天皇廃止も検討されました。しかし、けっきょく日本から天皇という存在を無くすことはできなかったのです。

島国に暮らす日本人は、自分たちが日本人であることを当たり前に思っています。
また、日本に皇室があり、天皇という存在がいることもあまり不思議に思うことはありません。
それもそのはず、自分が生まれたときから天皇はいましたし、自分が生まれるずっとずっと昔から天皇は日本にいるからです。

神話からつづく世界最古の王朝

世界では国家の歴史は王朝交代の歴史でもあります。
ほとんどの国が数十年から百年ほどのサイクルで王朝が建国と滅亡を繰り返してきました。
しかし、日本は神話の時代から2600年以上も一つの王朝を守り続けている国なのです。

人類学者の世界的権威として知られるレヴィ・ストロースは、

世界中に神話があるが、歴史と結びついているのは日本の神話だけである。

という旨の言葉を残しています。

レヴィ・ストロース

神話と歴史をごっちゃにするなんて非科学的すぎる、天皇家に2600年の歴史があるなんて、ねつ造に決まっている、という意見もあることでしょう。
諸説ありますが、科学的にほぼ間違いなく血筋が今の天皇家につながっているであろうと考えられているのは26代継体天皇けいたいてんのう(450年?―531年)です。
その継体天皇からカウントしても皇室は約1500年の歴史があることになり、世界一古い王家であることに変わりはありません。

継体天皇像

日本と皇室と祝日

日本と皇室の関係の深さがわかるものに祝日があります。
2月11日の「建国記念の日」は、神武天皇の即位した日でしたね。
日本には他にも20日近い国民の祝日があります。
その中には天皇に関係する祝日がいくつもあるのです。

わかりやすいところだと、天皇誕生日が国民の祝日です。令和時代は2月23日。
平成時代は12月23日が天皇誕生日で、もちろんその日も国民の祝日に定められていましたね。

「みどりの日」も天皇と関係がある祝日です。
4月29日は「昭和の日」ですが、この日は昭和天皇の誕生日で、2006年まではこの日を「みどりの日」といっていました。
現在は5月4日が「みどりの日」ですよね。
「昭和の日」が2006年に制定されたのにともない、「みどりの日」は5月4日に移行されたのです。

11月3日は「文化の日」
この日は明治天皇の誕生日です。

11月23日は「勤労感謝の日」ですが、この日も皇室と深いかかわりがあるのをご存じでしょうか。
法律では「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」ことを趣旨とした祝日と定められています。
しかしこの祝日は、天皇が収穫物を神に感謝する「新嘗祭にいなめさい」という宮中行事に由来しているのです。

意外なところでは、「春分の日」と「秋分の日」も天皇と深く関係しています。
「春分の日」も「秋分の日」も昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですね。

法律では、この二つの祝日の趣旨は次のように定められています。
「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」。
「秋分の日」は「祖先をうやまい、亡くなった人々を偲ぶ」。

しかしこれらの日も、宮中で「春季皇霊祭しゅんきこうれいさい」や「秋季皇霊祭しゅうきこうれいさい」がとりおこなわれるわれる日であり、じつは皇室ととても深い関わりがある祝日なのです。

春季皇霊祭遙拝(出典:大神神社)

祝日を見るだけでも日本がいかに天皇と深い関わりがある国なのかよくわかりますね。

倭国とよばれていた日本

日本は古代「倭国」とよばれていました。学校の歴史で習うのでみなさん知っていますよね。
でも、それがいつどのように「日本」と呼ばれるようになったのかわかりますか。

「倭国」という国名が史料にはじめて登場するのは、『後漢書』です。

そこには

安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

訳:永初元年(107年)に、倭国王の帥升が、後漢へ使いを送り、奴隷を160人献呈した。

と書かれています。

ちなみに、倭国王の帥升すいしょうが日本の歴史上、はじめて文献に名前が登場する人物。卑弥呼が『魏志倭人伝』に邪馬台国の女王として登場するよりも100年以上前のことです。

さて、この当時の倭国は統一国家というよりも、小さな国の集合体のようなものだと考えられています。
これが後に、ヤマトという勢力によって統合されていき、一つの大きな国として成立していったのです。

もともと西日本に住んでいた海洋民族が中国や朝鮮の王朝によって「倭人」と呼ばれていました。
その活動範囲は広く、日本列島だけでなく中国沿岸部から朝鮮半島南部にまでおよんでいました。
「倭」とは中国の王朝が与えた当て字です。
中国は中華思想、つまり自分たちが一番偉く、周辺諸国は野蛮な民族であるという考えがありましたから、周辺諸国の国名には悪い意味の漢字を当てていました。
「倭」も「従うさま、柔順なさま」というような意味で、良い意味ではありません。

(出典:OK辞典)

当時、日本列島に住む人々が自分たちのことを「ワ」と自称していたのでしょう。
その「ワ」に中国の王朝が蔑称的な漢字「倭」をあてました。古代の文字を持たなかったワ人(日本人)は、そのままその文字を使うようになったのでしょう。

大和をなぜヤマトと読むのか

「倭国」という国号は何百年も使いつづけられていました。
しかし7世紀ごろになると、日本が発展していくなかで、中国が勝手につけた「倭」という蔑称を使ったままで果たして良いのだろうか、という考えも出てきました。

古代中国の『旧唐書』には次のような記述があります。

日本國者倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地

日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。 或いはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。 或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり、と。

太字箇所に注目してください。そこには、倭国という、みやびやかではない名前を嫌がって、国名を日本に改めた、と書かれています。

「日本」を国号にしたのは天武天皇といわれています。
天武天皇は最初に「天皇」と称した人物ともいわれています。
天武は律令制をしき、天皇を中心とした統治機構を整えました。それだけではなく、『古事記』や『日本書紀』の編纂を命ずるなど、歴史や文化も整備し、日本が統一国家として新たに再出発する礎を築いたすごい天皇です。

天武天皇

このとき「日本」はまだ「ヤマト」と読まれていました。「ニホン」や「ニッポン」ではなかったのです。
ジッポン、ニッポンなどと現代に近い発音で音読されるようになったのは、もっと後の平安時代になってからです。

「ヤマト」といえば、「大和」という漢字が浮かびますよね。

でも不思議ですよね。
「大和」は普通に読めば、「ダイワ」です。なぜ、「ヤマト」と読むのでしょう。

ヤマトという名称は古代に王朝があった奈良盆地の地名に由来します。

ヤマトは漢字で「山門」と書きます。
山は、神が天から降りたつ神聖な場所と信じられていました。古代人の感覚では、神は山からやってくるのです。門は入口ですね。
つまり、神聖な山の入口におかれた国、それが「ヤマト」なのです。

大鳥居と三輪山

じっさい、ヤマト王権誕生の地と考えられる纏向遺跡は、神聖な三輪山のふもとに広がっています。
三輪山は、はるか昔から神が住む山と考えられており、山のふもとには最古の神社である大神神社おおみわじんじゃが鎮座しています。

大神神社

ヤマトについては、九州の地名がルーツであるとか、邪馬台国こそがヤマトのことだ、という説もあります。

倭国はもともと小国が集まったものでした。
それが4世紀の古墳時代になると、これら小国の首長や有力豪族らが連合して政治組織がつくられます。これがヤマト王権です。そして、その中で最も有力な豪族が後の天皇家になっていったと考えられています。

当時、ヤマト王権では中国や朝鮮などの海外勢力には、自らの国を「倭国」と称していました。

しかし国内的には倭国=ヤマト王権の国だったので、倭がヤマトと読まれるようになったのです。

7世紀後半に「日本」という国号がつくられましたが、「倭」も併用されていました。
当時はまだ「倭」はもちろん「日本」も「ヤマト」と読まれていました。
それが奈良時代に入ると、悪い意味がある「倭」を自国を表わす漢字として使い続けることが嫌われるようになります。そこで「倭=ワ」と同じ音をもちながら好字である「和」が使われるようになったのです。

倭と和が混在していた時期もありましたが、やがて倭は使われなくなり、「和」という表記が一般的になりました。
和がヤマトと読まれるようになったのです。
その「和」に、立派さを表わす美称の「大」を付け、「大和」と書かれるようになり、「大和」がヤマトと読まれるようになりました。

その後、「和」「大和」「日本」が混在して使われるようになり、やがて平安時代になると「日本」が現在の「ニッポン」に近い発音をされるようになり、現在にいたります。

ロマンをかき立てる国・日本

この記事のはじめのほうで、「世界では国家の歴史は王朝交代の歴史」だったと書きました。
日本国は、「日本」→「大和」「和」→「倭」と歴史をさかのぼることができます。しかし、途中で王朝が交代した事実が確認できません。
国を表わす表記は変わりましたが、天皇家という一つの王朝が連綿と君臨しつづけた国家です。
そしてその天皇家の歴史をさかのぼると、神話の世界にまで行ってしまう。
これが、上でも紹介した人類学者のレヴィ・ストロースがいうところの、「世界で唯一、神話が歴史と結びついている国・日本」の正体なのです。

旧約聖書にはダビデ王やその息子のソロモン王で有名な「古代イスラエル王国」が登場します。
古代イスラエル王国は滅んでしまいました。しかし、もし現代までダビデ王の血筋が残り、国家が存続していたら、きっと旧約聖書に書かれている神話や伝説に自分たちのルーツを見いだしたことでしょう。

知者ソロモンの裁き(ギュスターヴ・ドレ)

日本の建国が神話時代にまでさかのぼらなければならない理屈はそれと同じです。
天皇家は、途絶えること無く現在まで126代も続いてきました。
天皇の起源をたどるには、『日本書紀』や『古事記』に記されている神話世界にまでさかのぼらなければなりません。

言い方を変えると、日本の建国は歴史的事実として未だ謎につつまれている、ということです。
日本には、世界的にみて珍しいほど多くの歴史史料・文献が残されています。それなのに謎の多い国です。
日本という国を知ろうと思えば、古代史はもちろんのこと、神話の世界にまで足を踏み入れなければなりません。
普段あまり意識することはありませんが、これが私たちが住む「日本」という国なのです。
ロマンをかき立てる面白い国だと思いませんか。

 

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