いにしえの左方上位思想で読み解く日本文化 ~〈ひな人形〉と古事記のつながり~

いにしえの左方上位思想で読み解く日本文化 ~〈ひな人形〉と古事記のつながり~

穢れを人形にうつし、川に流す儀式

3月は冬から春へと季節が変わる時期です。
いにしえの人々は季節の変わり目には邪気が入り込み、災いをうけやすくなると考えていました。
季節の変わり目は寒暖差や気圧変動が大きくなるため、どうしても体調を崩しやすくなります。現代も季節の変わり目になると風邪を引いてしまうという人は多いですよね。

新しい季節がくると、自然環境は大きく変化します。人間の体も環境の変化についていくのに大変なのですね。
このような事実も、古代人が体に邪気が入り込んだと考えた理由の一つなのでしょう。

平城京出土の人形(ひとがた):奈良文化財研究所ブログより

さて古代中国には、この邪気から身を守るため、旧暦3月最初の巳の日に水辺でけがれを祓うという風習がありました。
季節の変わり目に厄を祓い、無病息災を願ったのです。
この風習が遣唐使によって日本に伝えられます。そして紙やわらなどの植物で作った人形ひとがたで身体をさすることで穢れをうつし、川や海に流す、という儀式になっていきました。
この儀式と、平安時代に貴族階級の女児がおこなっていた「ひいな遊び」という紙の人形で遊ぶままごとが合わさったものが「ひな祭り」の起源だと考えられています。

関西と関東で違う? ひな人形の並べ方に秘められた意味

ひな祭りは日本人なら誰でも知っている行事ですよね。
でも、地域や時代によって、ひな人形の並べ方に違いがあることはご存じでしょうか。
たとえば、ひな飾りの一番上段に並べられている内裏だいりびな(男びなと女びな)の並び方を思い出してください。
一般的(とくに関東地方)には向かって左側が男びなで、右側が女びなという並びが多いと思います。
しかし京都を中心とした関西の一部地域では左側が女びなで右側が男びなと、内裏雛の位置が逆になっています。
もちろんこれは適当に並べられているわけではなく、並べ方にはきちんとした意味と理由があるのです。

内裏雛は宮中にいらっしゃる「みかど」と「きさき」を模したものとされています。つまり天皇と皇后ですね。
日本では古来より「左方上位」とか「左上右下さじょううげ」という考えがありました。右より左の方が位が上ということです。

これは古代中国の「天子南面てんしなんめんす」という思想に由来します。
天子(皇帝)は世界の中心であるから、北(北極星)の位置にいて南を見渡す、というものです。
北極星は時間がたっても位置が変わらない星で、ずっと北の方角に観測できます。航海の目印として使われる星ですよね。


古代中国の都も、日本の平城京や平安京も、この「天子南面す」という思想にもとづいて造営されました。
だから天皇のいる御所は都の一番北側に位置しているのです。
ただし、中国は時代によって考えが変化し、右が上位になったりすることもありました。しかし日本は飛鳥時代以降ずっと左方上位をつらぬいています。

平城京

で、なぜ左が偉いのかというと、北を背にして立つと、太陽が昇る東が左側になりますよね。だから左が尊く偉いのです。
古代日本には左大臣と右大臣という役職がありましたが、左大臣の方が位が上です。
また、最も尊いとされる神であるアマテラスはイザナギの左目から生まれました。

ちなみに、「彼は私の右腕だ」とか「彼の右に出る者はいない」という慣用句がありますが、それも左方上位の考えが影響しているといわれています。
「私の右腕」は自分の有能な部下を表わす言葉ですが、その部下の左、つまり上位にいるのは「私」です。また「右に出る者がいない」という言葉は誰も彼の左側(向かって右側)に立てない、つまり誰も彼の上位に立つことができないという意味です。

舞台用語でも舞台左側(客席から見て右手方向)を上手、その反対側を下手と言います。
あと日本の道路は左側通行ですよね。これにも「左方上位」の思想が関係しているという説があります。現在は車は左側通行、歩行者は右側通行という分け方になっていますが、歩行者の右側通行は戦後に決められたルールです。明治時代の法律では、馬車も人も道の左側を通行するように定められていました。

なぜ左側通行になったのか。これにはさまざまな俗説があります。有名なところだと「当時お手本にしていたイギリスにならって左側通行にした」とか「刀を差した武士がすれ違うときに左側通行だと刀がぶつかり合わないから」といった理由が信じられています。しかし、どちらも正解ではないようです。というのも、明治時代に左側通行の規定をさだめた内務官僚の松井茂氏が、「なんとなく左側通行が良いと考えてそう定めた。とくに明確な根拠はない」ということを言っているのです。日本人は昔からなんとなく道の左側を歩くようにしてきた。それは人とすれ違うとき、むやみに相手の左側を通らないようにするためなのかもしれません。古代に生まれた「左方上位」の思想が日本人のDNAに染みついて、無意識にそう思うようになっているのかもしれません。

左方上位思想は日本の日常生活にも深く根付いています。
和服の「右前」という着方もそうですね。自分から見て左襟を右襟の上におく着方(相手からは右襟が前になる)です。
日本家屋のふすまや障子もそうなんですよ。ふすまや障子の側からみて、左側を前にするのが正しい作法とされています。

この「左方上位」の思想に従い、古代から天皇の立ち位置は皇后の左側というのが当たり前でした。
ひな人形が貴族の間にひろまった平安時代も、もちろん誰よりも偉い天皇は皇后の左にいる、というのが常識だったので、ひな人形も同じように並べられていたのです。

月岡芳年「雛祭紫震殿舞楽ノ図」※明治天皇と皇后が描かれている

立ち位置が逆になった天皇と皇后

一方で現在の天皇は、立つときも座るときも必ず皇后の右側にいらっしゃいます。

じつは、古代からの「左方上位」思想の並び方ではなくなってしまっているのです。
これはいったいどういうことでしょう。

明治時代以降、日本は近代化のために西洋文化を積極的に取り入れました。天皇皇后両陛下の立ち位置の変化は、このことが影響していたのです。
大正天皇が公の席で今までとは反対、つまり西洋式に皇后の右に立つようになり、昭和天皇の即位式からは正式に西洋式の立ち位置に変わりました。

昭和天皇と香淳皇后(1956年)

ひな人形は天皇と皇后を模したものであるとご説明しました。
天皇と皇后の立ち位置が西洋式に変わったため、ひな人形の位置もこれにならって西洋式に変えられていったのです。
現在主流になっている向かって左が男びな、右が女びな、という並べ方は、ひな人形の歴史からいうとごく最近ひろまった並べ方だったのですね。

しかし、歴史と伝統を重んじる京都や関西の一部の地域では、今も古来からの慣例にしたがい、向かって左が女びな、右が男びなという並びにしているわけです。

浮世絵に描かれたひな人形(鳥居清長・江戸時代)

ひな飾りの原型は古事記にあり?

歴史にロマンはつきものですが、ひな人形にも私たちを惹きつける歴史ロマンあふれる説があります。
なんと、ひな人形は『古事記』に描かれた日本神話がもとになっているというのです。

その説によると、女びながアマテラスで、男びながスサノオ、そして三人官女と五人囃子がアマテラスとスサノオの子どもたちだというのです。
にわかには信じがたいですが、面白そうな説ですよね。
どのような説か見ていきましょう。

アマテラスとスサノオは姉弟神です。彼らを生み出したのはイザナギです。
死んでしまった妻のイザナミを取り戻すために訪れた黄泉の国から、命からがら逃げのびたイザナギが、穢れを祓うために禊ぎしたときに生まれたのがアマテラスとスサノオでした。
『古事記』によると、アマテラスはイザナギの左目から生まれ、スサノオはイザナギの鼻から生まれました。ちなみに右目から生まれたのはツクヨミです。
この三柱の神は、イザナギが生み出した神の中で最も尊い貴い神ということで、三貴神と呼ばれています。

さて、イザナギはアマテラに天上世界である高天原たかまがはらを治めるよう命じ、スサノオには海原を治めるように命じました。(ちなみにツクヨミには夜の世界を統べるように命じました)

しかし、スサノオはイザナギの命令を聞かず、母が恋しいと泣きわめくばかりでした。そのせいで海原の世界は荒れ放題です。スサノオがあまりにも言うことをきかなかったので、イザナギはスサノオを追放してしまいます。

追放されたスサノオは、亡き母がいるという根之堅州国ねのかたすくに(死者の魂が行くとされる地下世界)に行くことにしますが、その前に姉であるアマテラスに別れの挨拶をするために、高天原に立ち寄ることにしました。
スサノオが来ることを知ったアマテラスは、スサノオが高天原を攻めに来たのだと勘違いし、武装してスサノオを待ち構えます。高天原に流れる川を挟んで対峙するアマテラスとスサノオでしたが、スサノオはアマテラスの誤解を解こうと誓約うけいを提案します。

誓約とは、あらかじめ決めたとおりの結果がでるかで、吉凶や願いが叶うかどうかなどをみる占いの一種です。

天照大御神と須佐之男命(松本楓湖筆・広島県立美術館蔵)

どのようなことをしたかというと、まず、アマテラスがスサノオの持っていた十握剣とつかのつるぎを受け取り、かみ砕いて霧状に吹き出しました。するとその霧のなかから三柱の女神が生まれました。

こんどはスサノオがアマテラスの勾玉を受け取り、かみ砕いて霧状に吹き出しました。するとその霧のなかから五柱の男神が生まれました。

スサノオは、この誓約で自分の剣から女神が生まれたことで、自身の潔白が証明されたのだと喜びます。
調子にのったスサノオは、高天原で乱暴狼藉を働くのでした。
この事件がきっかけで、ショックをうけたアマテラスが岩屋に隠れてしまい、世界が闇に包まれてしまうことになるのです……。これが有名な天岩戸隠れの伝説です。

さて、注目すべきはこの誓約で生まれた三柱の女神と五柱の男神です。

スサノオの剣からアマテラスが生み出した三柱の女神は、タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメです。この三柱の神は宗像三女神とよばれ、現在も宗像大社に祀られている大変重要な女神です。ほかに宇佐八幡や石清水八幡などにも祀られています。

アマテラスの勾玉からスサノオが生み出した五柱の男神は、アメノオシホミミ、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビです。このなかにアメノオシホミミという神がいますが、このアメノオシホミミの子どもが天孫降臨するニニギで、ニニギの孫が初代天皇である神武天皇。つまりこの誓約で生まれたアメノオシホミミは皇統につながる大変重要な神なのです。

重要な神が生まれたということは、このアマテラスとスサノオの誓約自体がとても重要な行為であったことを意味しています。

この誓約は性交渉の隠喩であるともいわれています。
すなわち、アマテラスとスサノオは、イザナギとイザナミがそうであったように、きょうだいでありながら夫婦でもあると考えられるのです。

そして、このアマテラスとスサノオが内裏びな、その子どもである三女神を三人官女、五男神を五人囃子という形で表わしたものが「ひな飾り」だとこの説ではいわれているのです。

すでにご説明したように現在一般的には女びなは向かって右側に置かれています。
これは近代以降に皇室が取り入れた西洋ルールに従った天皇皇后の立ち位置ということでしたね。
古来から日本に伝わる「左方上位」の思想でいくと、この西洋式の立ち位置だと天皇より皇后が上位になってしまいます。

ところが、ひな飾りがアマテラスとスサノオ、そしてその子どもたちを表わすものだとすると……アマテラスが上位の位置にくることになるので、とてもしっくりとくるのです。アマテラスの方がスサノオよりも上位の神ですからね。

なぜ女性が上位にいる配置のほうがしっくりくるのかというと、天皇という存在が登場するずっと遠い昔は、日本では女性が男性よりも上位であったと考えられるからです。

古代日本のヒメヒコ制

弥生時代以前の日本には「ヒメヒコ制」というものがありました。
ヒメヒコ制とは、シャーマンである女性(ヒメ)が呪術的支配をおこない、男性(ヒコ)がそれを補佐し実務的な政治を執り行う。
邪馬台国の女王・卑弥呼もシャーマンでしたが、実際の政治を執り行ったのは卑弥呼の弟とされています。

日本各地でヒメヒコ制による統治が行われていたことを表わすかのように、全国各地に○○ヒメと○○ヒコというペアの神を祀った神社がたくさん残されています。平安時代にまとめられた全国の神社一覧である『延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょう』にも、例えば龍田比女たつたひめ神社と龍田比古たつたひこ神社のように、○○ヒメ神社と対になった○○ヒコ神社が数多く掲載されていることからも、全国各地でヒメとヒコ、つまり女性と男性による共立的統治が行われていたことが想像できます。

矢野弦月『皇大神宮奉祀』

ヤマト王権が成立するもっと以前の日本では、呪術的な力を持ち自然=カミと交感するのは女性でした。また、縄文時代の土偶に妊娠した女性を模したものが多くあることから、生命を生み出す女性は神秘的な力をもつ存在だとも考えられていたのでしょう。

古代日本では、女性の地位は低くはありませんでした。呪術的な力を持つ女性は、むしろ男性よりもその地位は高かったのです。
ヤマト王権が成立する前は、男女のツートップが力を合わせて統治をしていました。そして、男より女が上位とされていた。

推古天皇

ヒメヒコ制――それはヤマト王権の時代になっても実は残っていたとも言われています。
ヤマトの大王おおきみ(=天皇)が実権を握るようになった時代も、神を祀るのは女性の役割でした。大王の娘など、皇族から巫女が選ばれ、神を祀っていたのです。また、推古天皇とそれを補佐した聖徳太子(厩戸皇子)の関係にはヒメヒコ制の影響が見て取れるという研究者もいるようです。

たとえば今回のような〈ひな人形〉=アマテラス・スサノオ説のような一見荒唐無稽な説にも、歴史の真実が隠されていたりするものです。

 

青空に星は見えません。でも青空の向こうには常に見えない星が輝いています。
それと同じように、隠されたものにこそ真実が輝いているのです。

教科書に書かれているような定説を学ぶだけでなく、
見えなかった真実を見つけていくのも古代史の面白さなのかもしれませんね。

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