天孫降臨したホノニニギ、その謎に包まれた正体とは? ~神話で読み解く日本国と天皇の真実~

天孫降臨したホノニニギ、その謎に包まれた正体とは? ~神話で読み解く日本国と天皇の真実~

はるかはるか昔、天(高天原たかまがはら)に住んでいた神が地上世界を治めるために降りてたと日本神話は伝えています。
これを天孫降臨てんそんこうりんといいます。『古事記』は上・中・下の三巻に分けられますが、上巻のクライマックスといえるエピソードがこの天孫降臨です。

ちなみに官僚が民間企業などで高い地位に再就職することを天下り(天降り)といったりしますが、この天孫降臨が語源になっています。

天孫降臨で地上世界に舞い降りてきた神の名をご存じでしょうか。
この神の子孫が現在の天皇とされているので、いかに重要な神なのかわかりますよね。にもかかわらず天孫降臨で降りて来た神が何者なのか知らない日本人も多いです。

戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策によって学校で神話を教えることが禁じられました。
「神話を学ぶことで日本人は天皇を崇拝するようになった。神話のせいで日本人は間違った方向に行ってしまったのだ」と決めつけられてしまったのです。GHQによるこの「日本神話=悪」という考えは根深く残っています。現在も日本神話は学校教育において必要以上に避けられているのです。
このような事情から、ほとんどの日本人は自国の神話を学んでいません。だから、日本の神々を知らないことは仕方ないことなのです。

検閲で黒塗りされた教科書

さて、話しを戻しましょう。
天孫降臨で地上に降りてきたこの神の名はホノニニギ。天照大神の孫であり、天皇の祖先神にあたります。
このホノニニギの正体がわかれば、天皇がどういった存在なのか、また、日本がどのような国なのかがわかるのです。

そこで今回は天孫降臨したホノニニギがどのような神なのか、謎に包まれたその正体をひもといていきましょう。

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ホノニニギという名に秘められた意味

日本神話には何百もの神々が登場します。
それぞれの神には名前がつけられていますが、その名にはすべて意味があります。
日本の神は、人間を取り巻く森羅万象を象徴するような存在です。なので名前も例えば自然の中にあるものや自然現象に由来していたりします。
たとえば天照大神あまてらすおおみかみのように、天からすべてを照らす神、つまり太陽神のことなんだな、と一目でわかる神もいます。

とはいえ、日本神話に登場する神には難解な名前の神が多い。
ホノニニギの意味もよくわからないですよね。
ちなみに正式な歴史書である『日本書紀』でホノニニギは、天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみことと表記されます。漢字を見てもなんのことやら、さっぱり意味がわかりませんね。

ホノニニギ

江戸時代の国文学者で『古事記』研究にその生涯を捧げた本居宣長もとおりのりながによると、ホノニニギの「ホ」は「穂」、つまり稲穂のことだといいます。
ホノニニギの父はオシホミミで、兄はホアカリです。父も兄も名前に「ホ」があり、ホノニニギは「穂」の系譜にあることがわかります。
また本居宣長は、ニニギの「二」は「丹」なのだといいます。丹というのは、あか色のこと。
そして「ニギ」は、非常ににぎやかな様子を表す言葉です。

つまりホノニニギとは、赤い稲穂がにぎにぎしく実っているさまをシンボル化した神だったのです。

本居宣長

古代に栽培された赤い米

ここで一つ疑問に思いませんか?
なぜ赤い稲穂なのだろうか、と。

稲穂と聞くと、日本人の多くが、秋の日差しを受けて黄金色に輝く稲穂を思い浮かべると思います。
赤い稲穂なんておかしいじゃないかと考える人もいることでしょう。

じつは古代に栽培されていた稲穂は赤色や赤紫色をしていました。
この赤米は弥生時代から栽培されていた米の原種の一つ。穂に含まれるポリフェノール化合物の影響で赤っぽくなっています。

赤米の稲穂(出典:Wikipedia)

稲は中国南部原産とされています。縄文時代に日本にもたらされました。
赤米や黒紫米のような古代米は、先述したポリフェノールの影響で味に苦みがありますが、病害虫や冷害に強く、少ない水でも育てることができました。

今でこそ東北や北海道のような寒冷地でも栽培できるようになった稲ですが、もともとは温かい地域が原産の植物です。品種改良がすすむ以前は寒い地域や水が、少ない地域では栽培するのが困難でした。しかし、赤米は籾の生命力も強く、どんな地域でも良く育ったのです。ですから山間部や島嶼部などの稲作に適さない環境下では、昭和初期まで古代米が育てられていました。赤米のような稲の原種には、過酷な環境でも安定した収量が穫れる生命力の強さがあったのです。
ちなみに、現在私たちが食べている白米は実は遺伝的には劣性で、赤米のような古代米が優性なのだそうです。
本来なら自然淘汰されて消えてしまう運命だったものを、少しでもおいしいお米を食べるために人間が品種改良などによって守り育ててきたものが白米だったのです。

古代人は赤色に何を感じたのか

赤は古代人にとって特別な色でした。
『古事記』には「あか乙女おとめ」という言葉が出てきますが、これは適齢期の女性をあらわします。
また『万葉集』にも「さにつらふ」という言葉が詠まれた歌が収録されています。
「さにつらふ」とは枕詞まくらことばで、漢字で書くと「丹頬につら」。赤く照り輝いて美しい、という意味です。「さにつらふ」とは、生命力に満ちあふれて美しい男や女を形容する言葉。直訳すると「頬が赤い」ということなのですが、頬が赤いということは、その人が若く生命力にあふれているという証なのです。

赤色は縄文時代から多用されていました。土器や土偶、耳飾りなどの装飾品、石器などあらゆるものに赤色の顔料で色がつけられていました。

赤は太陽や炎の色であり、血液の色でもあります。
古代人は死と再生を重要視しました。赤は命の色であり、黒は死の色でした。
また、太陽をあらわす(日)も、血液をあらわす(血)も、どちらも強力な霊力を意味する言葉でした。
古代人にとって赤は生命、そして自然界の霊力を象徴する重要な色だったのです。

生きている人間や動物の体内は鮮血がみなぎり赤いものです。また生まれたての赤ん坊、恋をして頬を赤らめる若者、紅葉に色づく木々……そういったものにも古代人は神秘的で美しい生命力を感じとったのでしょう。
そんな力強い生命エネルギーにあやかるために、古代人は赤く装飾したものを身につけたり祭祀につかったりしていたのです。

大物主神が化けた丹塗矢の伝承

赤色にかんして、『古事記』に興味深いエピソードが登場します。

河内国の三島(現在の大阪府の茨木市、高槻市付近)に勢夜陀多良比売せやだたらひめ という美しい女性が住んでいました。三輪にいる大物主神おおものぬしのかみがこの女性に魅了されました。
勢夜陀多良比売が大便をするために溝にかがんでいたときのことです。大物主神は丹塗矢に化け、川の上流から彼女が用を足している溝まで流れていきました。そしてあらわになっていた彼女の陰部ほとを突いたのです。勢夜陀多良比売はたいへん驚いたのですが、その矢を家に持って帰ることにしました。寝床のそばに置いていたところ、矢は端麗な男性に変身し、彼女と交わりました。

大物主神おおものぬしのかみは奈良の三輪山に鎮座されている神で、最古の神社として知られる大神おおみわ神社に祀られている神です。
ことのき大物主神が勢夜陀多良比売せやだたらひめと交わって生まれた娘がホトタタライスキヒメで、のちに初代・神武天皇の皇后になりました。
大物主神は蛇神とも雷神ともいわれる神で、国津神くにつかみの代表的な存在でもあります。
天皇は天孫だけでなく、大いなる土地の神の血も引いているのです。

さて、大物主神が化けた丹塗矢ですが、丹塗りは赤色ということです。
赤は生命力を表わす色。つまり、この丹塗矢は男根を象徴しているのです。
ちなみに、勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)というのは矢を立てられた姫というような意味があります。
また、その娘であるイスケヨリヒメのヨリヒメは神の依り代になる姫、つまり神と交信する巫女という意味が込められています。
天津神の血を引く神武天皇は、国津神の血を引く巫女姫と結ばれ、さらに強力な霊力を身につけていったということです。

大らかな神々が描かれているのが『古事記』の特徴ですが、この伝承はそんな『古事記』の魅力が存分にあらわれた面白いエピソードですね。

古代人は矢そのものにも霊力があると信じていました。
古代の日本人は鹿や猪などの動物を食べて命をつないできました。動物の生命力をいただくことで自分の生命力を増強させている。動物の生命と人間の生命、その二つをつなげる役割が矢にあると考えたのです。動物と人間、二つの生命力を媒介するものが矢であり、つまり矢そのものが霊力のある神聖な物なのだという発想にいたったのでしょう。
日本人は、矢という身近なものにたいしても道具以上の存在意義を見いだしていたのです。
縄文時代から引き継がれた日本人の精神性の面白さがあらわれていますね。

豊穣と生命力の象徴

一粒の種籾たねもみから何粒の米が穫れるかご存じでしょうか。
一粒の種籾から発芽した苗は生長すると枝分かれして約10本の稲穂になります。
一本の稲穂には品種によりますが平均して約80粒の米が穫れます。
これが10本ですからつまり、たった一粒の種籾から約800粒もの米が穫れるのです。
なんと800倍。品種によっては1000倍以上もの収穫が得られるのです。
もっとわかりやすく説明すると、たった種籾2、3粒でお茶碗一杯ものお米が得られるということです。

小さな種籾に秘められた生命力のすごさを感じますね。
古代の人々も同じように感じたはず。ちっぽけな種に秘められた大いなるエネルギーに驚嘆したことでしょう。

しかしながら、稲作が定着し始めた弥生時代のこと、しかも栽培していたのが品種改良もされていない原種の古代米だったので、現代と比べて収穫量がはるかに少なかったと考えられます。それでも一粒の種籾から何百倍もの収穫を得ることができたでしょう。

弥生人が米を食べることができたのは、1年のうち4か月程度だったといわれています。残りの8か月は米以外の雑穀を食べて過ごさなければなりませんでした。

古代の人々は、もっと大量に収穫したい。もっと米を食べたい。そう強く願ったことでしょう。
農耕民族としてスタートをきった日本人のそんな願望を象徴化したものが、まさにホノニニギという神だったのです。

『日本書紀』によると、ホノニニギが地上に天降るとき、天照大神に一束の稲穂を授けられます。
そのとき、天照大神は、
「高天原の神聖な田で穫れたこの稲穂を持って行きなさい。そして大切に育てて、あなたの子孫たちに食べさせなさい」
とホノニニギに言って、地上に送り出したのです。

この神話がなにを意味するのか――
それはホノニニギによる天孫降臨が、稲作による農耕文化の始まりと位置づけられているということです。
つまり、「日本のはじまり」=「農耕文化のはじまり」なのだとこの神話は伝えているのです。

弥生時代の稲作

古来より日本人は、春になると五穀豊穣の祈りを神に捧げ、秋になると収穫に感謝してきました。
日本人のこの1年の営みは、稲作の周期と一致しています。稲作を中心にして日本人はさまざまな慣習を決めていったのです。

撮影:金村英明

稲作をはじめてからというもの、日本人はこの営みを繰り返し続けてきました。なんと2000年以上もの長きにわたってです。
そして、豊穣の祈りと収穫の感謝という祭祀を古代からつかさどってきたのが、天照大神の子孫であり、ホノニニギの子孫でもある天皇なのです。

天皇は今も祭祀を続けています。その祭祀のほとんどが農耕にかんするものです。
豊穣を願うのを春の祈年祭としごいのまつり、そして収穫に感謝するのを新嘗祭にいなめさいといい、これらの祭祀は宮中だけでなく全国の神社でも毎年おこなわれています。

新嘗祭で使用する米を収穫する天皇(出典:宮内庁)

ホノニニギとは、「ホ」の神、つまり稲穂の神であります。そしてご説明したとおり、生命力がみなぎるごとく赤く実った稲穂のにぎにぎしさを表象した神でもあります。

その子孫が天皇ですから、天皇もホノニニギとおなじく「稲穂」と「生命力」を象徴した存在といえるのです。

さらに、日本には「豊葦原とよあしはら瑞穂みずほの国」という美称があります。
なんという美しい言葉でしょう。古事記にも登場するこの言葉には「神意によって稲が豊かに実り、栄える国」という意味が込められています。

この「豊葦原の瑞穂の国」という言葉が日本がどのような国か端的に表しているのではないでしょうか。
稲が日本人にとっていかに大切な植物か……
そして天皇が本当は何を象徴し、日本人にとっていかに重要な存在であるか……
いにしえ人が書き残してくれた神話を読み解くことで見えてくるのです。

 

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