塩はなぜ魔除けにつかわれるのか ~神と塩がうみだす清浄な空間~

塩はなぜ魔除けにつかわれるのか ~神と塩がうみだす清浄な空間~

塩とお清め

みなさんは「お清め」と聞いて何を思い浮かべますか。
「塩」を思い浮かべた人も多いのではないでしょうか。
生命維持に欠かせない塩ですが、日本人は古代からお清めのアイテムとしても重要視してきました。

神道では、神への毎日の供え物として「水」、「米」、そして「塩」の三品が供えられます。
また修祓しゅばつという祭典の前におこなわれる祓いの儀式がありますが、そのときには塩湯えんとう(塩を溶かした湯)で祓いが行われるのが一般的です。塩湯は海水の代用として使われています。

日本神話ではイザナギが海で禊ぎをするエピソードがあります。
日本では古来から海に身を沈めて不浄のものを祓ってきました。この風習は現在にも伝わっています。

伊勢・二見興玉神社の「夏至祭」出典:伊勢志摩経済新聞

やがて海での禊ぎは簡略化され、海水で作った塩を使うようになったともいわれています。

塩じたいは腐ることがありません、また塩によってほかの物の腐敗を遅らせたりすることもでします。そういったことも塩に特別な力があると信じられるようになった一因でしょう。

塩を作るには、海水と火(もしくは日光)が必要です。海水だけでなく火も古代人にとって神聖なものでした。神聖な存在から生み出されたのが塩だったのです。つまり塩も神聖な存在だといえます。
現在でもお清めの塩は精製塩よりも、古来からの方法で海水を煮詰めてつくった粗塩の方が好まれているようです。

塩によるお清めですが、一般的に神道のイメージが強いようですね。しかし塩で清めるという行為は、神道がうまれるはるか昔から日本人が民俗文化的に受け継いできたものなのかもしれません。

死と穢れ

現在ではさまざまな場所で塩による祓いがおこなわれています。
たとえば、お葬式のときお清めの塩を渡されますよね。死の穢れを塩で祓うためです。
死は古来より日本人がもっとも忌み嫌ってきたものです。

穢れは目に見えるものではありません。人を死に至らしめた穢れや災厄は、消え去ることなく辺りをただよっていると考えられてきました。さらに穢れは人や物に付着し、そこからどんどん伝染していくと信じられていたのです。
まるでウイルスですね。


しかも、死の穢れというものは伝染力が非常に強いと考えられていました。これなんてまさに、いま私たちが苦しめられている感染力の強い新型コロナウイルスのようです。

そこで考えられたのが「喪に服する」という行為なのでしょう。
昔は死者がでた家の家族は一定期間忌みごもり、他者とできるだけ接触をもたないようにしていました。
これも死者の身近にいた親族から穢れや災厄を他人に伝染してしまわないようにする配慮だったと考えられます。

ちなみに、葬式のあと塩で清めるという行為ですが、いまの時代、嫌がる人もいます。死者を穢れとしてあつかうのは失礼だというのです。愛する人やお世話になった人が亡くなったときは、なおさらそう思うのでしょう。
しかし、それは大きな勘違いです。
穢れ=死者の霊ではありません。穢れや災厄は、人を死に至らしめる原因になったもののこと。けっして死者そのものを指すわけではないのです。死者の霊を追いはらうために塩をまくわけではありません。あくまで死者に憑いていた穢れを祓うためです。
ですから、お清めの塩を使おうと、それは死者を冒涜することにはならないのです。

じつは仏教では塩で清めるということは推奨されていません。というのも、仏教では死を穢れと見なしていないからです。さらに浄土真宗では、人は亡くなってすぐ仏様になるという考えなので、死者(=仏様)に穢れなど憑こうはずがありません。
でも、そういった宗教的な教えを超えて、日本では「塩で清める」という行為が一般的にひろまっています。

お清めの作法

さて、そんなお祓いアイテムの代表格ともいえる塩ですが、みなさんはどのように使っていますか。
たとえばお葬式のあと塩で清める作法は、地域によってさまざまです。
肩など、体にさっと振りかけるのが一般的ですね。神道で祓いをするときには大麻おおぬさ(榊の枝に麻と紙垂をつけたもの)を左、右、左と振ります。それにならって、塩を左肩、右肩、左肩に振りかけるという作法もあります。
また、風水では玄関は体内の入口に例えられますが、玄関先で地面に塩をまいて、それを踏んでから家に入るというのも、穢れを玄関先で祓って家の中には入れないという意味で、風水的に有効といわれています。

盛り塩の起源

お店の入口に魔除けの盛り塩が置かれているのを見かけることもあります。
この盛り塩の起源は古代中国にあります。

秦の始皇帝は広大な宮殿に3000人もの美女を住まわせていました。皇帝は女性と共寝するために、牛車に乗って女性のもとに通っていくのですが、3000人もいるので、選ぶのも選ばれるのも大変です。
そんなある日のこと、車を引く牛がある女性の屋敷の前でとまりました。皇帝はその女性と夜を共にすることにしました。不思議なことにそれから何日も続けて、牛が同じ場所で足をとめたのです。
なぜ牛はいつも同じ場所でとまったのでしょう。
じつはその女性が牛が塩を舐めるのを知っていて、門の前に盛り塩を置いていたからでした。賢いですね。

この故事によって、盛り塩はお客さんを呼ぶおまじないとしてひろまりました。
そう、この盛り塩、もともとは魔除けというよりも故事にあやかった縁起物だったのです。

穢れを祓うとは

盛り塩=魔除けの効果があるというのは迷信かもしれませんが、店先にある盛り塩を見れば、その店が清浄に祓われているか確認できます。

穢れを祓うとは、そもそも汚れを取り去り清潔にすることです。

盛り塩は放っておくとすぐに汚れが付着して変色し、湿気などで形が崩れてしまいます。簡単に見える盛り塩ですが、実際にやってみると思いのほか手間がかかります。汚れたらすぐにとりかえないといけないですし、周囲もきれいに掃除しておかないといけない。
たまに崩れて汚い盛り塩をそのまま放置している店もありますが、こういう店はあまり清潔とはいえません。
かたや、いつ行ってもきれいに盛り塩してある店は、こまやかに心遣いも行き届き、店内も清潔で、きちんと管理された店と考えられます。
店で働いている人の意識の高さが盛り塩にあらわれています。

たとえば神聖さを感じる神社などは、日々のたゆまぬ努力で境内が清潔・清浄に保たれています。そのおかげで私たちが参拝したときに神聖な空気を味わうことができるといえます。
神社の場合、神がいるから境内が勝手に清められているのではありません。そこが神の居場所としてふさわしいように、人間が努力して清浄に保っているのです。

盛り塩も同じです。塩が勝手にあたりを清浄にしてくれるわけではありません。
人間がきちんと掃除し、周囲を清潔に保つことが大切です。
そういった人間の心遣いが魔を祓い、良いお客さんを呼び寄せるのではないでしょうか。

お店や家では、盛り塩は、周囲をきれいにするという行動をうながす起点になります。
神棚などもそうでしょう。神棚を置くにふさわしい清浄な空間を人間がつくり、維持していかなくてはなりません。
結果、その場所は清められるのです。

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