世界で唯一滅びなかった王朝
過去の記事でもたびたび触れてきたとおり、天皇家は世界で最も古い王家であり、神話時代から続く唯一の王朝でもあります。
神話時代につながる王家は、古代メソポタミアや古代エジプトなど世界中に存在しましたが全て滅んでしまいました。
中国でも一つの王朝がずっと中国の支配者として君臨しつづけることはありませんでした。
世界史では数多くの王朝が勃興と滅亡を繰り返してきました。
しかし日本の天皇家だけが途絶えることなく現在にまでその血統がつながっています。
なぜ天皇家は滅びなかったのでしょうか。
今回は2回にわたり、その秘密に迫っていきます。
さて、中国ではなぜいくつもの王朝が、勃興し滅亡することになったのでしょうか。
そこには中国で生まれたある思想が関係していました。
この思想には天皇家が途絶えなかった秘密をとく鍵も隠されています。
まずは中国の皇帝がどのような存在なのかをひも解いていくことにしましょう。
この世のすべてを支配する「天」
皇帝や天皇は天子と呼ばれることもあります。
天子とは、天命を受けて地上を治める者のことです。
古代中国では、天は徳のある君主を認め、その君主に地上の統治を任せると考えられていました。
これを天命思想といいます。
中国の思想は儒教を中核としていますが、天命思想も儒教から生まれました。
儒教では森羅万象、この世の全てを支配するのは「天」という絶対的な存在だと考えられています。
儒教のいう天という概念ですが、私たちの頭上に広がる天空という意味だけでなく、全知全能の存在という意味があります。天帝という言われ方もします。
絶対的で神聖な存在であり、キリスト教のような一神教の神に近い概念です。
天に選ばれた皇帝
「天下」と呼ばれる人間世界も、もちろん「天」によって支配されています。
しかし天は常に沈黙しており、人間ごときに何か語りかけたりはしません。
そこで登場するのが天子と呼ばれる人間の支配者です。
天は直接語りかけるわけではありませんが、人間世界から一人の人物を選び、その人物を自らの子、つまり天子として人間世界の支配を任せるというのです。
この天命によって選ばれた人間がすなわち皇帝というわけです。そして天命は民の意志を通じて示されると考えられました。
天から皇帝に委譲された支配権は、皇帝本人だけでなく子孫にも受け継がれていきます。
この世に天に逆らえる人間はいません。
天がすべての支配者であり、何よりも最高の存在なのですから。
そんな絶対的な存在である天が任命した皇帝は、神聖な正統性を有しています。そして、天の代理人たる皇帝には誰も逆らうことはできず、服従しなければならないと考えられたのです。
天命思想は支配者にとって、とても都合の良いものでした。
皇帝の権力と権威を正当化し、民を無条件に服従させることができたのですから。
易姓革命とは何なのか
では天からのお墨付きをもらっているはずの王朝はなぜ滅んでしまうのでしょうか。
じつは天は皇帝となるべき人物に支配権を委譲しますが、これを撤回し他の人物に委譲しなおすこともできるのです。
どのような時に天命が撤回されるのか。
それは皇帝やその子孫が、天の意思に反して悪政を行い天下が乱れた時だと考えられました。
皇帝の徳が無くなり、天に見捨てられたというわけです。
そして天命は徳がある別の人物にくだされ、その人物が新たな天子として人間世界を支配していくことになるのです。
「天の命が革まる」、すなわち革命です。
漢語では革命にはこのような意味があったのです。
天命は皇帝とその子孫にくだされると説明しましたが、それは例えば「楊」という姓の一族から「李」という姓の一族へというように別の姓をもつ一族へと支配権が移ることでもあります。
ちなみに、隋を興したのが楊一族で、隋を滅ぼして新たに唐という国を興したのが李一族でした。
これを易姓革命と呼びます。易姓とは姓が変わるという意味です。
実際の歴史では、ある王朝の失政が社会混乱を巻き起こし、反乱が起こり、その反乱を起こした首謀者が新たな王朝を打ち立てる、ということが何度も起こってきました。
天命思想では、これを天の意思が起こした易姓革命として、権力の交代を正当化したのです。
歴史書は征服者が書くもの?
面白いもので、天命思想は天下を支配する権利を正当化できる一方、現支配者を打ち倒し新たな支配者となることも正当化できます。
じつはこのことは中国の歴史書に如実に表れています。
邪馬台国の女王が登場する通称『魏志倭人伝』は魏という国の歴史書『魏書』の一節です。
しかし『魏書』は魏が自国の歴史を編纂した書物ではありません。
聖徳太子の「日出る国の天子~」で知られる『隋書』もそうです。
中国の歴代王朝の歴史書はその王朝を滅ぼした王朝、つまり後の王朝が編纂したものだったのです。
前の王朝の君主がいかに徳を失い、どんな失政をおこなったか、そして新たな王朝である自分たちがいかにその王朝を滅ぼしたか、天命思想にもとづいて、その支配の正当性を書き残したのが中国の歴史書なのです。
正統政権であることを主張するために書かれた歴史書
ちなみに、現在の中国は中華人民共和国という国名で、その支配者は中国共産党です。その前が「清」でした。
中国共産党は前王朝である清の歴史書を長年にわたって編纂しており、最近やっと初稿があがったそうです。
一番新しい歴史書は『清史』と呼ぶそうですが、その内容が気になるところですね。
正確には清のあとにできたのは中華人民共和国ではありませんでした。それより前に中国国民党率いる中華民国(いまの台湾)があり、清の歴史書もこの中華民国が編纂していました。
しかし中国共産党率いる中華人民共和国は、中華民国(台湾)を認めていません。
中華人民共和国が清の歴史書を編纂することは、中華民国(台湾)に対して自分たちが中国の正統政権であることを主張することでもあるのです。
このように、中国の歴史書は征服者が支配を正当化するために書くという側面があるのです。
天命思想、易姓革命がもたらす悲劇
さて、中国の天命思想のもとでは、皇帝とその一族は、天下が自分のものであり、民も土地も資源もすべて思いのままできると勘違いすることもありました。権力の私物化というやつですね。
天から支配を任されているということになっていますから、皇帝は絶大な権力を振りかざすことができたわけです。
しかしそんな皇帝にも恐れるものがありました。
それが先ほど説明した易姓革命です。
臣下や民衆の中にも反乱を起こして新たに天命を受けたと主張する者があらわれるかもしれない。
そんな心配を皇帝は抱き続けなければなりませんでした。
皇帝やその一族にとって、民衆は支配する対象でありながら、恐怖の対象でもありました。自分の地位を常におびやかす存在でもありました。
皇帝にとって民衆は、自分の地位をおびやかす存在でもあり、常に監視しておかなければならなかったのです。
そのため皇帝は国内の不穏な動きに常に目を光らせ、危険分子は徹底的に弾圧しました。
子孫を残すための後宮制度もそんな皇帝の恐れがあらわれたものの一つといえるでしょう。一族の血が絶えること、また密通によって皇帝の血族以外の者が次の皇帝を継いでしまうことを恐れたのです。
後宮には皇帝以外の男は立ち入れませんでした。唯一の例外は宦官という官僚たちで、彼らは去勢されていました。
中国史を動かしてきた二つの政治原理
中国でなぜ王朝がころころと変わっていったのか。
そのヒントは天命思想そのものにあるのかもしれません。
天命思想によって、皇帝とその一族は強大な権力を得ることができます。天下のあらゆるものを私物化、支配をほしいままにできるのです。強力な支配は民の反感を買うことにもつながります。また皇帝は反乱も恐れなければなりません。さらに民への監視と統制が強くなっていきます。すると支配に対する民の不満もさらに大きくなります。悪循環です。
やがてたまりかねた民が反乱を起こします。徳が無くなった支配者を天に変わって倒す。大義名分は天命思想です。こうして易姓革命が達成されてしまうのです。
皇帝の支配が強くなり権力の私物化が起こることで社会が乱れ、その結果、内乱が起こるというわけです。
天命思想と易姓革命という二つの政治原理が交互に起こってきました。
中国では革命が起こり王朝が倒されると、皇帝はもちろんその一族すべてが皆殺しにされるのが当たり前でした。
そんなことにならないよう、皇帝はなんとしても権力を守らなければならなかったのです。もちろん世が乱れることによって、民衆の血も多く流されました。
中国史を見ると、天命思想、易姓革命がいかに悲劇をもたらしてきたのかよくわかります。
中国の皇帝のように、日本にも天子と呼ばれる天皇がいます。
日本の天皇も、天に変わって地上を治める神聖な存在に違いありません。
天皇家は、後継者争いや武士の台頭など、滅亡の危機はいくつもありました。
しかし危機を乗りこえて血統を受け継ぎ、いつしか世界最長の王家といわれるまでになりました。
なぜ日本では中国のように易姓革命がおきなかったのでしょうか。
中国の皇帝と何が違ったのでしょうか。
次回は天皇家が滅びなかった秘密に迫っていきます。