世界で一番長い歴史をもつ日本
日本は特殊な国です。
その特殊性のひとつが、日本の長い歴史でしょう。
アメリカ合衆国は250年ほどの歴史しかありません。
中国は4000年の歴史ともいわれますが、一つの王朝が続いたわけではありません。中国古代の漢王朝も、世界帝国といわれた元王朝も、現在の中国共産党による中華人民共和国もいわばまったく別の国です。中国は一つの国が歴史をつないできたわけではないのです。中華人民共和国は1949年に毛沢東が建国宣言した、まだ建国100年に満たない国なのです。
しかし日本は違います。日本には他国と比べものにならないくらい長い歴史があります。
日本は万世一系とうたわれる天皇家が2600年以上も存続してきた国とされています。
2600年は神話的世界も含めての数字なので、さすがに現実ばなれしているかもしれません。
しかし、その存在が確実視される継体天皇から数えても天皇家は1500年の歴史をもち、それでも世界最古の国といえるのです。
敗戦と天皇家断絶の危機
さて、そんな日本の天皇家ですが、長い歴史のなかで何度も断絶の危機がありました。
そのなかでも最大の危機だったのが、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦でしょう。
日本はこの戦争で無条件降伏をし、アメリカを中心とする連合国軍に占領されることになりました。
天皇は当時の日本の最高権力者でした。そのような立場の人間が、敗戦によってどうなるかは明らかでしょう。命の保証はありません。
じっさい、日本と同盟関係にあったドイツとイタリアのトップがどうなったのかを見ればあきらかです。ドイツのヒトラーは追い詰められて自殺していますし、イタリアのムッソリーニは共産党系のパルチザンに捕らえられ処刑されています。
常識的に考えて、日本の天皇が無事に済むはずがありません。
まさに最大の危機がやってきたのです。
東京裁判で裁かれた戦争指導者
占領政策を実施するために日本にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)という機関が設置されました。
その最高司令官がダグラス・マッカーサーでした。
GHQはマッカーサーのもと、さまざまな占領政策を実施していきました。
その一つが戦争犯罪人の逮捕です。
戦争指導者として東条英機元首相らが逮捕されました。もっとも罪深いA級戦犯として数十人が東京裁判で裁かれ、東条英機ら7名が死刑、そのほかも禁固刑や終身刑に処せられました。
しかし、天皇は東京裁判の法廷に一度も呼び出されることなく、法的に戦争責任を追及されることはなかったのです。
なぜ天皇は裁かれなかったのか
なぜ天皇の戦争責任は告発されなかったのか。
その理由は、最高権力者のマッカーサーが天皇を訴追しないと決めたから、といわれています。
マッカーサー自身がその回顧録で証言しているように、当時のマッカーサーは日本国民に対して事実上無制限の権限を持っていました。マッカーサーがイエスといえば決定されるし、ノーといえば否決されたということです。
ではなぜマッカーサーは天皇を訴追しなかったのでしょうか。
その理由の一つは、天皇を処罰すれば日本国民が一斉蜂起し、手が付けられない状況になってしまう、と考えられていたからでしょう。
戦争末期、敗戦濃厚になった日本軍は起死回生の策として、特攻や玉砕など、天皇の名のもとに命を捨てる攻撃をアメリカ軍に仕掛けていました。命をかけて攻撃、ではなく字のごとく命を捨てる攻撃だったのです。この考えられない攻撃にアメリカ兵も度肝を抜かれました。
アメリカ兵たちには、戦争するのは自分たちが生き残るためだ、という意識がありました。しかし日本人にはそのアメリカ人の常識が通用しませんでした。日本人は勝つために死ぬ、いや負けるとわかっていても降伏せず、死を選び攻撃してくる。攻撃どころか、ろくな武器もないのにただただ死ぬために向かってくる。天皇の名において死を選び、それを美徳とする日本人の考えをアメリカ人は理解できませんでした。
天皇という存在を盲信する日本人の姿にアメリカ人は恐怖を感じたことでしょう。
天皇を処罰すれば日本国民が一斉蜂起する……アメリカ人がそんな最悪の結果を恐れたこともうなずけます。
しかし、マッカーサーが天皇を訴追しなかった理由はそれだけではなかったのです。
マッカーサーが天皇と接し、その存在性や人柄に心動かされたことも大きな理由の一つだと考えられるのです。
昭和天皇がマッカーサーに語った驚きの言葉
西洋の君主制国家では、戦争に負けると国王の権威が失墜し、国民が蜂起、国王は亡命し、王朝が滅亡して新たな国ができる、ということが多々ありました。第一次世界大戦時にはドイツ皇帝だったヴィルヘルム2世がオランダに亡命しています。
昭和天皇も、敗戦によって命の危険があったため、一部の人たちが昭和天皇の亡命を画策したともいわれれています。
マッカーサーも、昭和天皇が亡命を希望する可能性を考えていたのではないでしょうか。
しかし、天皇は西洋の国王とは違ったのです。
昭和天皇はマッカーサーに会ったとき、次のようなことをいったそうです。
「自分はどうなってもよい。そのかわり、いま苦しんでいる国民をなんとかしてほしい」
昭和天皇は自分のことよりも民のことを心配したのです。
天皇のこの言葉をきいて、マッカーサーは何を思ったのでしょうか。
自分の知る西洋の国王たちのように、己の地位や命の心配をすることなく、また自分の権力にしがみつくこともない。
マッカーサーは昭和天皇の姿に、真の帝王の姿を見たのかもしれません。
すぐれた帝王学はすぐれた支配者を生み出します。支配者は本来、悪ではありません。民を導き、世界を平和に保つ存在なはずです。欲に溺れ、権力にしがみつく者を生み出すために帝王学があるわけではありません。
日本の天皇は西洋の国王とはまったく違う存在です。
天皇は罪やわざわいを祓い、浄めるシャーマンでもあるのです。
マッカーサーが、天皇にも戦争責任を負わせるという意見を押しのけ、天皇という存在を残したのは、西洋の王とは性格の違う天皇という特殊な存在性に気づいたからなのかもしれません。
象徴にまつりあげられた天皇
GHQの影響下で作成された日本国憲法で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められました。
当時は天皇と日本国民の精神的結びつきがとても強くありました。この強い結びつきは簡単に切り離せるものではありませんでした。無理矢理切り離してしまうと、日本国民が暴走する可能性をGHQは危惧していたのです。
そこでマッカーサーはじめGHQは考えたのかもしれません。天皇の戦争責任は問わず、戦後も日本国民の精神的支柱にする。それも、あくまで平和的な象徴としての支柱に……。そして戦争責任は軍部におしつける。
戦争を起こした責任は軍部の首脳陣に押しつけられるかたちになりました。そして彼らはA級戦犯として裁かれたのです。
穢れと罪と天皇の祀り
天皇は結局、法的に戦争責任を追及されることはありませんでした。新しい時代の日本の平和的な象徴として……。
しかし戦後76年たった今も、天皇の戦争責任を問う声は根強く残っています。天皇のせいで戦争が起こされたのだ、責任をとれ、と。
天皇は東京裁判で裁かれず、法的に罪を償うことはありませんでした。しかし全ての人々によって赦されたわけではありません。
つまり、天皇は法的に罪を償わなかったかわりに、永遠に罪を背負い続けることになったともいえます。
天皇という存在は、あのときの罪を今も背負い、裁かれ続けているのです。それでもまだ、天皇を批判する声は消えることがありません。
いっそ東京裁判で裁かれていたほうが、どれほど楽だったでしょう。
天皇とは祭祀をし、民のために祈る存在でもあります。
穢れを清め、罪を祓う。
戦争という穢れ、処罰されざる戦争責任者という罪……天皇は昭和から平成、令和と時代が変わってもこの罪咎を背負い続けています。
天皇陛下は今年も全国戦没者追悼式で「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、今年も「深い反省」の意を述べられました。
日本国、そして日本国民の象徴として過去の罪をも一身に背負いつづける。
これも西洋の王とは違う天皇という存在のシャーマニックな役割といえるのでしょう。