どのような正月を過ごされたでしょうか。
正月は年中行事のなかでも一番盛大に祝われるものです。でも、今年はいつもとは違うお正月でしたね。
新型コロナウイルス感染症拡大のせいで、カウントダウン・イベントなども軒並み中止。お祝いムードがあまりない正月でした。
見通しがたたない状況がまだまだ続きそうです。
しかし、なんとか明るい未来がやってくるよう、そして世界にマスクのない笑顔があふれるよう願うばかりです。
さて、今回のテーマはお正月。
初日の出、年賀状、お年玉、初詣、書き初め……などなど正月にはさまざまな行事・習慣がありますね。
これらは日本人が古くから伝統的におこなってきた行事や習慣ですが、もちろんそこには意味があります。
幸せや実りある未来、健康などを願う呪術的な意味が。
現在では「新年を祝う」という言葉は、「新しい年を迎えることを共に喜びわかち合う」というような意味でつかわれています。
この「祝う」という言葉。古代と今とではニュアンスが違いました。
「祝う」という言葉は、古代では「斎う(いはう)」と表記していました。
「斎う」というのは、祈ること、お供え物をしたり、舞ったり歌うなど、神聖な儀式をおこなうこと。
そうすることで物事が良くなるように神に願う呪術のことだったのです。
いにしえびとのさまざまな祈りの形が、現在にまで残ったものが正月行事です。
つまり現在の私たちは、ご先祖さまから引き継いだこれらの「呪術」を知らず知らずに実践していたといえるのです。
年の初めの行事にはいろいろなものがありますが、やはり正月といえば、おせち料理ですね。
おせち料理があるだけで元旦の食卓は華やかになります。というより、おせちが無いとなんだか寂しい正月になりそうですよね。
古くから日本に伝わるおせち料理ですが、近年は洋風や中華風など、さまざまにアレンジされたものも見られるようになりました。
そんなおせち料理にももちろん、いにしえの呪術がこめられています。
そもそも、いつごろから正月におせち料理を食べるようになったのでしょうか。
おせち料理にはどのような意味が込められているのでしょうか。
正月には欠かせないおせち料理に隠された秘密をひもといていきましょう。
おせち料理は正月だけのものではなかった
おせち料理=正月というのが現在の常識です。
しかし古来から、おせち料理というのは一年に何度も作られるものでした。正月に限らずだったのです。
おせち料理は漢字で「御節料理」と書きますが、その名のとおり、季節の節目に作られる料理だったのです。
季節の節目とは、元旦や五節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)のことです。
この節目に、食べものをもたらしてくれた神々に感謝の意をこめて、節会という宴がもよおされていました。
その宴に出された料理がおせち料理で、古くは「御節供」とよばれていました。
弥生時代にやってきたおせち料理
おせち料理は、いつごろから作られるようになったのでしょうか。
じつはその歴史は驚くほど古く、弥生時代までさかのぼることができるようです。
おせち料理は、農耕文化が定着した弥生時代に中国大陸から日本に渡ってきました。
農耕社会では、稲をいつ植えていつ収穫するか、「暦」がとても大切です。
そしてその暦にもとづき、季節の変わり目ごとに神に感謝する祭祀が行われるようになりました。
そのときに出された神への供え物が、おせち料理の始まりです。
その後、奈良時代から平安時代にかけて、季節の祭祀が宮中行事としておこなわれるようになり、日本文化に定着していったようです。
江戸時代に庶民にもひろまったおせち
現在のようにおせち料理が正月料理の代名詞になったのは、江戸時代後期になってから。じつは最近のことなんですね。
それまで宮中祭祀としておこなわれていた行事が、江戸時代になると民衆にまでひろまっていったのです。
ただし、ひろまったのは正月の御節供だけでした。
なぜ正月だけかというと、一般庶民にとっては、五節句すべてに特別な料理を作るのは大変なことだったからです。
そこで季節の節目のなかでも最も重要な正月だけ特別な料理を作るようになり、やがて「正月料理=おせち料理」というイメージが定着していきました。
歳神様を迎えるために
季節の節目のなかでなぜ正月が最も重要なのか。
それは、正月には歳神様を迎えるという超重大ミッションがあったからです。
歳神様は年のはじめに家にやってくる神様です。
歳神様をもてなすことで、その年一年を健康無事・幸せに過ごすことができると考えられていたわけです。
福をもたらしてくれるありがたい神様ですね。
ちなみに、おせち料理が保存が利く加工食ばかりなのは、せっかく歳神様をお迎えしているのに正月から炊事でバタバタと騒がしくしないようにするためでもあります。神様への心遣いですね。
※正月と歳神様については、こちらの記事もご参照下さい
おせち料理の一品一品に込められた意味
おせち料理には年の初めの食事を豪華にすることで、その一年ゆたかな食事に恵まれるように祈りが込められています。
またそれだけではなく、食材一つ一つにも願掛けや縁起がこめられています。
一品一品にどのような祈りがこめられているのか、見ていきましょう。
おせち料理は一般的に重箱に詰められています。三段組、もしくは五段組になっています。
五段組のものは、五の重の中を空のままにするのが本式になっています。
これには、さらに家族が増え、ますます発展するようにとの願いが込められています。
ちなみにおせち料理をいただくのに「祝い箸」というものを使います。両端が削られた角のない箸で、片方を人が使い、もう片方を歳神様が使えるようになっているのですね。
おせち料理には絶対必要な三品があり、「祝い肴」とよばれています。
祝い肴は、重箱の一番上の段、一の重に詰められます。
祝い肴は、黒豆、数の子、田作り(関西では叩き牛蒡)の三種で、正月を祝うにあたり、とても重要な意味が込められています。
黒豆
黒色は邪除けの色とされています。まめに働けるようにとの願い。関東ではわざと皺が寄るように炊かれますが、これには「皺ができるまで長生きできるように」との願いがこめられています。
数の子
数の子は卵の数が多いため、子孫繁栄や五穀豊穣の願い。
田作り
なぜ田作りというかというと、かつて小イワシは田んぼの肥料に使われていたから。五穀豊穣を願った縁起物。
叩き牛蒡(おもに関西)
牛蒡は地中にまっすぐ根をはることから、縁起の良いものと考えられています。また牛蒡を叩いて開くことから、開運の意味も込められています。
上から二段目、二の重に詰められるのは、栗きんとんや紅白蒲鉾などの「口取り」と呼ばれるもの。ほかに酢の物などが入れられます。
栗きんとん
きんとんは金団と書きます。これは金色の団子を表わします。金銀財宝を意味し、金運を願った縁起物。
紅白蒲鉾
赤色は魔除け、白色は清浄を表わします。蒲鉾の形が水平線から昇る初日の出に似ているので、めでたいとされています。
昆布巻
「喜ぶ」の語呂合わせ。
芽出しくわい
芽が出でいることから「めでたい」。芽が出る=出世を願った縁起物。
お多福豆
見た目がお多福に似ていることから、福がやってくることを祈願したもの。
紅白なます
紅白蒲鉾と同じく、人参の赤色は魔除け、大根の白色は清浄をあらわす。平安を願う縁起物。
上から三段目、三の重に詰められるのは、焼き物。主な食材は海の幸です。
海老
「腰が曲がるまで長生きする」との願い。また、海老は脱皮することから生命の更新や出世を願う縁起物。
鯛
「めでたい」の語呂合わせ。
鰤
鰤は出世魚なので、文字通り出世を願って。
上から四段目は、四=死となるのを嫌って「与の重」と表記されます。
四段目には主に煮しめが詰められます。蓮根や里芋、たけのこなどを一つの鍋で煮ることで、家族がずっと一緒に円満でいられるようにとの願い。
蓮根
仏教では蓮は極楽の池にある植物で、穢れのないものとされています。また蓮根は穴が空いていることから、将来の見通しがつくように、との願い。
里芋
里芋は大きな親芋に子芋がたくさんつくことから、子孫繁栄を願ったもの。また同種の「八ツ頭」は大きな親芋=頭になる、という意味も込められています。
たけのこ
子どもがすくすく育つように、また出世できるようにという願い。
これでも料理の一部です。おせち料理は地域によっても多種多様ですよね。
このように、おせち料理というのは、四角いお重の中に本当にたくさんの願掛け・縁起ものが詰まっているものなのです。
「一年の計は元旦にあり」という諺がありますが、これだけの縁起物を元旦に食べれば、その一年ほんとに御利益がありそうですね。
人類の幸せを願う、いにしえの呪術
時代が経つにつれてどんどん豪華になっていった「おせち料理」ですが、
初期のおせち料理はもっとシンプルなものでした。
古代、新年の「斎い」は、一部の人がおこなっていた神に祈りを捧げる儀式。
それが古代から中世、近世と時代が経つにしたがって庶民にひろまり、集まっておせち料理を囲んで宴げするものに変化していきました。
「斎い」から「祝い」へと変化していったのです。
しかし、そこに秘められた呪術性が失われたわけではありません。
おせち料理の一品一品が縁起物で、そこには願いが込められており、私たちは意識せずともその呪術を享受しているのです。
ご先祖様が伝えてくれた健康で健やかに幸せになる呪術を。
おせち料理だけでなく、他の正月行事、季節ごとの行事、日常の習慣など、さまざまのものに古来から伝わる呪術的な意味が込められています。
現代人の私たちが普段意識しないものにも、古来からの呪術がかけられていたりするのです。
私たちは、それによって守られているともいえるのです。
だから、信じましょう。
これからもっともっと、より良い未来が待っているということを。
科学は発達してきましたが、私たち人類は未だ「祈る」という行為をやめていません。
これからも私たちは祈り続けることでしょう。
私たちはさらに、年間行事や日々の習慣という形で、いにしえびとから呪術を引き継いできました。
そしてこれからもずっと、「幸せを願う呪術」を引き継いでいくことでしょう。