古代のモモと桃太郎伝承に隠された秘密

古代のモモと桃太郎伝承に隠された秘密

おとぎ話「桃太郎」は日本人なら誰でも知っていますよね。
桃から生まれた桃太郎が、犬、雉(きじ)、猿を家来にして、鬼を退治する話です。

でも、そもそもなぜ「桃」なのかご存じですか?
それに鬼退治の家来に三匹の動物を従えますが、なぜ犬、雉、猿なのでしょうか?
熊とか狼とか鷹とか……おそろしい鬼を退治するなら、もっと強そうな動物は他にいるはずなのに。

じつは桃にも、桃太郎が家来にする三匹の動物にも、ある重大な秘密が隠されていたのです。
今回は古代における桃の意味と、桃太郎伝説の秘密に迫っていきます。

山東庵京伝(山東京伝)著『絵本宝七種』より「桃太郎」

祭祀に使われた古代の桃~纏向遺跡で見つかった2000個の桃の種~

桃が古代人にとっていかに大事な存在だったか。
それをしめす発見が纏向(まきむく)遺跡でありました。

纏向遺跡は奈良県の桜井市にあります。
西には奈良盆地がひろがり、東には聖なる山である三輪山(みわやま)がそびえています。
纏向遺跡からは弥生時代後期から古墳時代前期にかけての大規模な集落あとが見つかっています。
大和政権発祥の地であるこの纏向遺跡は、女王卑弥呼がおさめた邪馬台国の候補地としても有力視されています。

2010年9月、纏向遺跡から大量の桃の種が出土して話題になりました。その数なんと2000個!
この大量の桃は出土した状況から、食用ではなく祭祀で使われたあと埋められたものと考えられています。

しかも、年代測定の結果、これらの桃は「西暦135~230年のあいだに実ったものである可能性が高い」ということがわかりました。
この時代は、卑弥呼とその後継者の台与(臺與・とよが君臨した邪馬台国の時代と一致するのです。
これにより、ヤマトの纏向と邪馬台国の関係が再びクローズアップされることになりました。

邪馬台国ははたして大和にあったのか、それとも九州か、はたまた他の地域なのか……
この発見によって邪馬台国の所在地が大和=奈良に確定したわけではありません。

しかし、この発見で一つわかることがあります。それは、古代には桃が祭祀の重要なアイテムであったということです。
なにせ2000個も桃の種が見つかったのですから。

桃はとても神聖なものだと古代人は信じていました。
なぜ桃はそれほどまでに神聖視されていたのでしょうか。

その秘密はおとぎ話の「桃太郎」に隠されています。

そもそも桃太郎はなぜ「桃」太郎なのか

「桃太郎」は誰かが作ったおとぎ話です。
はるか昔の日本に、桃太郎という主人公、それに犬、雉、猿、三匹の家来という設定を考え、彼らが鬼退治するという物語を作った作者がいるのです。
桃太郎はなぜ「桃」太郎なのか。
その設定に作者はどんな意味を込めたのか。

その設定に秘められた意味を知れば、
「桃」太郎と犬、雉、猿という組み合わせだから鬼退治ができたことがよくわかります。

その秘密を解く鍵は「陰陽五行説」にあります。

桃太郎のルーツは陰陽五行説

陰陽五行説は以前もこのブログで紹介したことがありますが、古代中国で考え出された思想です。

古墳壁画に秘められた深遠な古代思想~方角と色と四神~

陰陽思想とは、世界は太陽と月、表と裏など、陽と陰の二つに分けられるという考えです。
五行思想とは、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成り立っているという考えです。
陰陽五行説は、これらの思想が合わさったものです。

五行は、季節や方角それに色など、いろいろなものにあてはめられています(以下の図を参照下さい)。

出典:one fine day

桃はこの五元素にあてはめると、「金」になります。
桃は、陰陽五行説によると金属グループに分類される果物なのです。

退治するべき鬼はとても強い存在です。
そんな鬼を退治するには固い金属(古代でいう鉄器)が必要だという考え方なのでしょう。

鬼退治の家来が猿、雉、犬でなければならなかった理由

陰世五行説を読み解けば、桃太郎が鬼を退治するときに連れて行く家来が猿、雉、犬でなければならなかった理由もわかります。

桃が属するのは陰陽五行説の「金」グループですが、この「金」は方角の「西」もあらわします。
この西の方角を十二支であらわすと、ちょうど「申、酉、戌」がそこにあてはまるのです(もう一度図を参照下さい)。

出典:one fine day

酉がなぜ雉(きじ)になったのか、については、雉はむかし天皇への献上品としても使われており、とても大事にされていた鳥だったからです。
現在でも国鳥は雉ですよね。日本を代表する鳥なのです。

まとめると、
陰陽五行説の「金」=「桃」=西=「申(猿)、酉(雉)、戌(犬)」ということになります。
桃だけでなく、「猿、雉、犬」も金属グループなのです。

さらに方角で考えると、
鬼は北東の「鬼門」をあらわします。この方角は十二支では「丑寅」となります。
だから鬼は虎柄の腰巻きに丑のような角がトレードマークになってます。

さて、北東の「鬼門」の反対、つまり丑寅の方角の反対は何でしょうか。

これが南西、つまり「戌、酉、申」にあたります。
だから鬼退治=鬼門封じとして、反対側に位置する「猿、雉、犬」がそれにあたるわけです。

おとぎ話の「桃太郎」は陰陽五行説における鬼門封じを表わした物語だったのです。

岡山県・吉備地方の桃太郎伝承

桃太郎の伝承は全国各地にあります。
なかでも有名なのは岡山県・吉備地方の伝承でしょう。

温羅が拠点にしたと伝わる鬼ノ城(きのじょう)。朝鮮式の山城である。

この地には、桃太郎伝承のモデルになったとされる「温羅(うら)伝説」があります。
温羅は吉備地方にいた恐ろしい鬼で、その温羅を大和朝廷から派遣された吉備津彦(きびつひこ)が退治した、という伝説です。
吉備津彦には犬飼部の犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部の楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥飼部の留玉臣命(とめたまおみのみこと)という三人の従者がいて、この三人が「桃太郎」の犬、猿、雉のモデルになったともいわれています。
吉備地方には神社や遺跡など、温羅伝説にまつわる伝承地も沢山のこされています。

吉備津彦を祀る吉備津神社。吉備津彦が温羅との戦いで拠点にした地といわれる。

吉備津彦は第七代孝霊(こうれい)天皇の子です。実姉に倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめ)がいます。
倭迹迹日百襲媛命は、『日本書紀』によると、纏向の箸墓(はしはか)古墳に葬られているとされる姫で、とても強い霊力をもつ巫女であったと伝わっています。
じつは、この倭迹迹日百襲媛命は卑弥呼がモデルなのではないかといわれている人物です。
『魏志倭人伝』の卑弥呼の墓に関する記述と符合することから、箸墓古墳が卑弥呼の墓であると考える学者もたくさんいます。

箸墓古墳。倭迹迹日百襲媛命の墓とされるが、卑弥呼の墓とも。

箸墓古墳を有する纏向遺跡で見つかった大量の桃の種……そして、吉備の温羅伝説……桃太郎伝承を架け橋に、いろいろと繋がるものもありますね。

さて、恐ろしい鬼とされる温羅ですが、吉備地方に土着していた豪族の王がモデルであると考えられています。
温羅たちには、鉄器をつくる技術がありました。
大和朝廷は鉄器を、そしてそれを作る技術を手に入れたかった。鉄製の武器を手に入れることができれば、軍事力は飛躍的にあがりますからね。
そのために軍事派遣されたのが、吉備津彦だったのではないでしょうか。
吉備津彦は敵対する豪族の王であった温羅を倒し、吉備地方を大和朝廷の支配下においた。
大和朝廷による吉備の国侵略の物語……それが、岡山の桃太郎伝承につながっていった。

ここで、「鬼」の特徴を思い出して下さい。
鬼門=丑寅だから、虎柄の腰巻きに牛の角が特徴でしたね。
あと思いつく鬼の特徴はないでしょうか。
そうです、金棒です。「鬼に金棒」ということわざもあるくらい、鬼には必要不可欠なアイテムですよね。
この金棒は、「鉄器」をあらわしている。そう、大和朝廷がどうしても欲しかった「鉄器=鉄の武器」です。

鬼とは大和朝廷に従わない敵対勢力だった。そして彼ら鬼たちは「鉄」をあつかうことができた。だから(大和朝廷にとって)恐ろしい存在だったのです。

古代の桃は現代のものとは別物

現代の桃

ところで、絵本やアニメなどの「桃太郎」のイメージから、当時の桃も現代の桃と同じようなものだと思っている人が多いとおもいます。
じつは当時の桃は現在のものとはDNAも違う、別系統の果物なのです。
現在わたしたちが食べている桃は、明治以降に輸入された桃を品種改良したものです。

古代桃(稲田桃)

古代の桃は、現代の桃と比べるとかなり小ぶりで、尖端がとがった形をしています。
味もかなり甘酸っぱいです。

現代の桃(左)と古代桃(右)

かつて桃は病を治してくれる良薬だった

古代、とくに中国では、桃は薬として珍重されていました。
桃は、それを食することで病気を癒やしてくれるありがたい食べ物だったのです。

むかしは、病気になるのは体内にいる鬼が暴れることが原因だと考えられていました。
桃を食べると病気が治る。それは桃が体内で悪さする鬼を退治してくれるからだ、と信じられるようになっていったのです。

この考えも「桃太郎の鬼退治」に通じるものがありますね。

やがて桃は人に災いをもたらすもの(邪気)を祓ってくれる神聖な存在になったのです。

桃太郎は桃から生まれてこなかった?

おとぎ話で桃太郎がどのように誕生したのか、もちろんご存じですよね?

むかしむかし、おばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきました。
おばあさんはその大きな桃を家に持って帰って、おじいさんと一緒に包丁で割りました。すると中から元気な男の子が、「おぎゃー」と誕生しました。

絵本やアニメなどでは、桃太郎の誕生をそのように伝えています。
しかし実はこれ、元々のお話をかなり改変したものなのです。

本当の桃太郎誕生秘話はこうです。

むかしむかし、おじいさんとおばあさんには子供がおらず、二人っきりで暮らしていました。
そんなある日、おじいさんとおばあさんは霊力のある桃を食べました。すると二人は若返り、気力がみなぎってきました。もちろん若い頃のように小作りにも励みました。
そのかいあって、おばあさんは妊娠し、男の子を出産しました。
おじいさんとおばあさんは生まれてきた我が子を「桃太郎」と名付けました。

というのが、桃太郎が誕生したときのお話です。

川から大きな桃が流れてくるよりも、こちらの方が人間くさく、妙なリアリティを感じさせてくれますね。

桃太郎伝承に隠された秘密

桃太郎の秘密についてお話ししてきましたが、いかがだったでしょうか。

おとぎ話の「桃太郎」も何となく作られた物語ではなく、桃の神聖さ、陰陽五行説の解釈、方位学などを参照し、練りに練って考え、作られた物語だったということがわかったかとおもいます。
温羅伝説や倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめ)の箸墓伝承、さらに卑弥呼まで繋がっていくのも桃太郎伝承の面白さですね。

私たちが幼い頃から当たり前のように接してきた昔話にも、こんなに深い古代ロマンがつまっていたのです。

 

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