王は内面に神を宿す~なぜ神話は作られたのか~
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王を王たらしめているものは何でしょうか?
なぜ人々は王を王と認め、その命令に従うのでしょう?
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前回お話ししたとおり、人は自由を求める存在であり、哀しいかな、欲望に突き動かされて行動してしまうものです。
人間は誰しも自由に生きたいと思っています。その自由を求める気持ちが文明を発展させ、人間を豊かにしていったとも言えます。
しかし人類みなが自由に生き過ぎてしまうと、社会のバランスが崩れ、秩序が崩壊してしまいます。
文明社会は、人が人を支え合って成り立っている社会です。
言い換えれば、互いに依存し合っているのが人間社会です。
与えられた役割をしっかりと担ってこそ、秩序ある人間社会が保てるのです。
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しかし人間を放っておけば自由を求めます。そうなると社会のバランスが崩れて、秩序が崩壊してしまいます。やがて人類は滅んでしまうかもしれません。
人間の無知さがそういった由々しき事態をもたらします。
そこで、
大多数の無知な人間を支配し、秩序をもたらす存在が生み出されることになりました。
人間の自由を制限し、生存を保証するために人間が作り出したのが<王>という絶対権力なのです。
文明が発達し、人間の意識レベルも高度に進んだ現代は、王権の代わりに法律が秩序を保つ役割を担っています。
王も法律も、その存在理由はほぼ同じだったのです。
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古代、人間社会の秩序を保つために考え出された王という存在。
しかし自由を求める人間に言う事を聞かせるのは難しいことです。
人間を支配するためには、人間を超越した力が必要となってきます。
人間を超越した存在とはなにか……それはずばり、神です。
王は神を自らの中に取り入れることで、権力者となることができます。
内側に神を宿しているのが王なのです。
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さて、そもそも日本の神話はなぜ作られたのでしょう。
その目的は、天皇を神の子孫にし、人々の上に立つ王たらしめることにありました。
日本の王、つまり天皇はその内面に、いつ神を見いだしていったのでしょうか。
『古事記』や『日本書紀』を参考に、天皇と神との関係をみていきましょう。
日本神話の「人代」に描かれた天皇と神の関係
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『古事記』や『日本書紀』には、
前半の神の世界の物語(神代)と、
後半の人の世界の物語(人代)があります。
日本の王である大王(天皇)は、いつ神を見つけたのか。
それは神武天皇以降の人代の物語の中に描かれています。
時は崇神天皇の時代――
これは現実の歴史では3世紀にあたる時代で、卑弥呼が活躍した邪馬台国の時代にあたります。
この時代を古事記や日本書紀では崇神天皇の時代としています。
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崇神天皇の時代に疫病が発生しました。
これをなんとか抑えたい崇神天皇は、天照大神に祈ります。
ここでポイントとなるのは、天照大神が太陽の神、つまり自然神である、ということです。
しかし、天照大神は疫病を退治することができませんでした。
そこで崇神天皇は、天照大神にかえ、疫病を抑えるための新しい神を呼ぶことにします。
それが大物主神(おおものぬしのかみ)でした。
奈良県の桜井市に大神神社(おおみわじんじゃ)という日本最古の神社があります。
大神神社は三輪山をご神体として祀っていますが、三輪山に宿っているのが大物主神です。
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大物主神をまつることで崇神天皇は疫病を退散することができました。
大物主神には大田田根子(オオタタネコ)という人間の子孫がいました。この大田田根子という人物を大物主神のお告げどおり捜し出して、大神神社の神主にしたことで疫病は鎮まったのです。
また大物主の神は数多くの人間の女性とも交わりました。
卑弥呼がモデルになったと考えられている倭迹迹日百襲媛命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)も大物主の妻です。
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奈良の巻向に、日本で一番最初の前方後円墳とされる箸墓古墳があります。
卑弥呼の墓とも言われていますが、その墓の埋葬主として宮内庁に比定されている人物が倭迹迹日百襲媛命です。
天照大神は自然神でしたが、
大物主は人間と交わり、子孫を生み残す、ある種人間的な神です。
天皇家にもその血は混じっています。
つまり大物主神は祖先神なのです。
崇神天皇の時代に自然神から祖先神へと切り替えがおこなわれたのです。
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さらに時代が下り、5世紀から6世紀になると、
雄略(ゆうりゃく)天皇、顕宗(けんぞう)天皇、欽明(きんめい)天皇が登場します。
このときに現れるのが、
一言主神(ひとことぬしのかみ)、
別雷神(わけいかずちのかみ)、
タカヒムスヒの神
です。
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一言主神は雄略天皇とウリ二つの神で、雄略天皇に内在する神です。
別雷神は京都の賀茂神社などに祀られている神です。
タカヒムスヒの神は創造神です。万物を作り出した神であり、万物の背後にいるような神です。
この三柱の神が日本神話の人代最後に登場し、天皇に関わってくる神です。
その特徴は、姿がない、ということ。
人代で最初に登場する天照大神は太陽という形があります。
次に登場した大物主神も祖先神ですから、姿形が見える神です。
しかし最後に登場する一言主も別雷神もタカヒムスヒも、その姿を見ることができない神です。
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形もなにもなく、人間の心の中、もしくは世界のどこかに宿っている神。
つまり、この神は人間が頭の中で想像して生み出した神です。
登場した3種類の神々をその登場順にまとめると、
太陽神・天照大神
(目に見える神)
↓
祖先神・大物主神
(目に見える神)
↓
人の心に宿る神・一言主神
創造神・タカヒムスヒの神
(目に見えない神)
という流れになります。
これが何を意味するのか。
日本人が神を見いだしていき、やがて天皇が神を自身の内に取り込んでいった流れを示しています。
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つまり、
始めに、人間は大自然の中に神を見いだしました。
自然の中で一番大切だと古代人が思ったのが太陽だったことでしょう。
そして、太陽が照らす昼の世界と対になる夜の世界や、生命のふるさとでもある海にも神を見いだしていきました。
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太陽は天照大神、
夜はツクヨミ、
海はスサノヲ
この三柱の神々は三貴神(さんきしん)と呼ばれ、日本神話では最も貴い神々とされています。
日本人がいかに自然に畏敬の念をいだいていたかよくわかりますね。
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続いて登場した大物主神。
これは自分たちに血をつないでくれた祖先を敬う気持ちが生み出した神です。
このような神の登場は、人間社会が形成されていったことも象徴しているのでしょう。
大陸の文明から受けた影響も大いにあるとおもわれます。
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そして最後に登場するのが、一言主神、別雷神、タカヒムスヒの神。
この神々の姿を見ることはできません。
人間の心の中、もしくは世界のどこかに存在するだけです。
太陽やご先祖様とちがい、実態がありません。
存在しない神を人間は想像力によって考え出したのです。
そして、天皇は神になった
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これが日本人が神を作り出した経緯です。
このように王は自らの内に神を見いだしていったのです。
そして自分を神が宿る特別な存在だと主張した。
肉体に神を宿す力を持ち、
自らの内にいる神の存在を悟った者だけが王になれるのです。
古事記や日本書紀を参照すると、
雄略天皇の時代にそういった、いわゆる神性が見いだされたことがわかります。
そして、古事記や日本書紀が編纂された時代の天武天皇は、完全なる神の子孫となったのです。
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも
これは柿本人麻呂が天武天皇を詠んだ歌です。
天武天皇は神だと言っているのです。
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ある人物に神様がたまたま宿ったのではなく、
神の子孫だから天皇には神が宿っている……
日本の神話はそう主張しているのです。
ギリシア哲学に、
肉体と魂は別のものであり、肉体は魂の器にすぎない。
魂はさまざまな人間を経巡り、成長している。
成長した良い魂を宿した人間こそ、すばらしい君主になれる。
というような考え方があります。
内なる魂という存在を発見したという意味においては、
このギリシア哲学と、日本の天皇が心の内に神を発見していったプロセスは同じなのかもしれません。
日本神話に描かれた「神代」~神から人へ~
自らの内に神を見いだした王は、
神の子孫であることを論証するために神話を整えていきます。
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日本神話の神代の物語で最初に登場するのは、
アメノミナカヌシの神やタカミムスヒの神などの創造神たちです。
これらの神々は性別を持たない神で、現れてもすぐに消えてしまう。
つまり目には見えない存在です。
そういった神々の後に登場するのが、
イザナキとイザナミです。
彼らは性別を持った男女神です。
イザナキとイザナミは夫婦神でもありましたので、何度も何度も性交します。そして数多くの神を生み出します。
水や風や山や木など自然だったり、本州や四国、九州などの日本を形成する島々など、森羅万象の神を生み出していきます。
つまりイザナキとイザナミが目に見えるこの世界を形づくっていったのです。
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あるとき、イザナミはカグツチという火の神を生みます。このときカグツチの炎で、イザナミは焼き殺されてしまうのです。
火を扱えるようになって原始時代の人間は一気に豊かになっていきました。時代が進むにつれて文明が進化し、人間は火を容易にあつかえるようなっていきました。しかし扱い方を間違えると人間を焼き殺す恐ろしいものになります。
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そういったことを、このエピソードは暗示しているのかも知れません。
現代、わたしたち人類は原子力という新しい火を手に入れました。しかし、その強力なエネルギーを秘めた火を完全に扱いきれているわけではありません。
さて、イザナキは愛するイザナミが死んで黄泉の国に行ってしまい、嘆き悲しみます。
イザナキはイザナミを連れ帰るために黄泉の国に行きます。
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しかし、黄泉の国の食べ物を食べてしまったイザナミは、もう元の姿ではありませんでした。
恐怖のあまり逃げ出すイザナキ。追って来るイザナミを振り切り、黄泉の国を脱出したイザナキは、穢れを払うために禊ぎをします。
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そのとき生まれたのが自然の神である天照大神、ツクヨミ、そしてスサノヲです。
天照大神は太陽、月夜見は月、スサノオは海をつかさどる神で、最も貴い神とされました。
ところがスサノヲは任された海をほったらかしにします。そのせいで、地上の世界は荒れ放題に荒れてしまいます。
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困ったイザナキはスサノヲを問いただしました。
スサノヲは泣きわめき、母であるイザナミに会いたい、そのために根之堅洲国(ねのかたすくに=黄泉の国)に行きたいとダダをこねます。
スサノヲは、姉の天照大神に相談しようと天照大神のいる高天原に行くも、色々あって天照大神と対立し、結局、地上に降り立ちます。
このときスサノヲが降り立ったのが出雲国です。
『古事記』のエピソードとして有名な八岐大蛇退治はこのとき行われました。
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八岐大蛇退治をしたスサノヲは、クシナダヒメと結ばれました。
クシナダヒメは人間です。つまり、ここで神と人間の子が生まれたのです。
スサノヲとクシナダヒメの子孫が大国主命です。
大国主命(おおくにぬしのみこと)は因幡(いなば)の白ウサギ伝説で有名な神で、出雲大社に祀られています。
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大国主命もたくさんの人間の女性と交わりました。
神と人間が交わることで、新しい神が沢山生まれることになります。
やがて大国主命の一族が地上を支配していきました。
そんなある日のこと、
天照大神の孫であるニニギノミコトが地上に降臨して、大国主命の一族を追いやります。これが国譲り伝承です。
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地上の支配者になったニニギノミコトは、地上にいる女性と結ばれ子孫を残していきます。
自然神である天照大神の子孫と、地上に降臨した神々と地上の自然神の子らとの間に生まれた人々の血が混じり合い、繋がっていきます。
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やがて生まれたのが、神武天皇で、神武は完全に神の血をひく<人間>となっています。
神武天皇までで神代が終わります。
そして神武天皇以降は、人間の世界の物語(人代)が始まっていくのです。
神話を作ることが国家を作ること
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人代では、歴代天皇の物語とともに、彼らが神を発見していく過程が描かれていました。
自然神から祖先神、そして天皇の心の中に宿っている神や、世界の創造神へと登場する神が変遷していきました。
神代では、その逆に物語が作られています。
つまり最初に登場するのが、世界の創造神などの目に見えない存在。
次にイザナミやイザナギという万物の祖先となる存在。
そして、イザナミやイザナギが生み出した自然神たち。
神代と人代では登場する神の性質がまったく逆の順序で描かれているのです。
(神代) 創造神↔祖先神↔自然神 (人代)
自然神は原始的なものですが、
創造神となると、その神を考え出すには高度な人間の想像力が必要とされます。
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日本神話、特に神代はとても複雑に物語が展開していきます。
豊かな神々の躍動は1300年も経っても、わたしたちを楽しませてくれます。
物語としてのクオリティの高さもさることながら、
その裏に込められた意図の深さにも驚かされます。
神話を語り継いだ人々、それを編纂した人々、
古代の人々の頭脳には頭が下がります。
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古代においては、
人間を超える超越的な王が生まれることは、国家の誕生を意味します。
現在の王が超越的な存在であることを論証するために神話は必要になります。
つまり、神話の編纂は中央集権的な強い国家を作るために必要な大事業だったのです。
7世紀後半、天武天皇の時代にこの大プロジェクトをやってのけたのです。
1300年語り継がれ、受け継がれている日本神話~古代から現代へ~
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神話は、原始的な文化や思想しかもたなかった古代人が単なる空想で描いた物語ではありません。
明確な意図があり、登場する神や人物の造形、物語の構成などもしっかりと作り、1000年、2000年と語り継がれる神話を作り上げたのです。
小説やマンガや映画など、現在もさまざまな物語が日々生み出されています。
しかし、1000年後も読まれるような物語はどれだけあるでしょうか。
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権力者のため、社会に秩序をもたらすため、古代の人々が必要に迫られて作ったものです。
日本神話は優秀なクリエイターによって作られたとても豊かな物語でもあります。
自然発生的に沸いて出てきたものでは決してありません。
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それはつまり、日本神話をじっくりと読み込むと、そこに隠された意図や歴史的事実が浮かび上がってくることを意味します。
文献に残されていないような歴史の謎がきっちりと日本神話には封印されているのです。
さて、苦労して作られたであろう日本神話には、どれだけの効果があったのか。
それは日本の歴史、そして現在の日本を見ればおのずとわかるでしょう。
天皇家は今も続いています。世界で一番長い家系でもあります。
さらに天皇家は今も儀式を執り行っています。神の子孫として代々受け継いできた儀式です。
古代、日本は呪術でクニを守っていました。それがいまも儀式として続けられているのです。
なぜ天皇家はそのようなことをしているのか。
天皇の内には、いまも神が宿っていると信じられているからです。
天皇には、常人には及びもつかない力がある。だから儀式を執り行えるのです。
その根拠は何か。
それは日本書紀や古事記などの日本神話に書かれているのです。
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ところで日本神話には
『古事記』と『日本書紀』があり、まとめて『記紀』と呼ばれたりしています。
ところが、どちらも似たようなエピソードが書かれており、その違いがわからない人もおおいのではないでしょうか。
そもそも、なぜ『古事記』と『日本書紀』の2つが存在するのでしょうか。
違いは何なのでしょうか。
次回は『記紀』にまつわる疑問を解きあかしていきましょう。